子どもたちのことを真剣に考えましょう。

強引

私は教育関係以外の政治ニュースはあまり取り上げないのだが、最近のニュースを見て

いると、あまりにも低次元で情けなくなる。

権力に力を与えすぎると独占状態を作り、それが驕りとなっていく。

いまはまさにそのような感じで、やり方がいかにも強引で、国民のためというよりは自

分自身の満足のために行政がされているように思う。

権力に寄りかかっているからこそ、発言が強引、一方的となり、驕れる者の典型のよう

な感じである。

本来の民主主義はどうなってしまったのか、思わず疑ってしまう今日この頃である。

 

その強引さは安部総理を筆頭として、豊田議員、稲田議員などなど、上げればきりがな

い。

「震災は東北でよかった」などと言ってしまう復興相などがいたりして、もはや何が何

だかわからない様相である。

常識の範囲を通り越して、発言者の人格否定までも思い浮かぶ。

 

政治ばかりではなく、芸能の世界でも同じようなことが起きている。

SNSを使い、夫婦間のもめ事を世の中に訴える。

刑事的に許されないことも、SNSなら言い放題、広告収入がそれによって数千万も入る

というのだから、世の中は本当におかしくなっている。

痴話げんかを楽しむ国民がいて、それを利用する者がいる。

マスコミもその愚がわかっていて、毎日、報道する。

いつまでたっても、終わることがないような雰囲気である。

 

人々の生活はただただ地道で小さな運不運はあるものの多くの者が、大きな変化を好ま

ず、とにかく現状が続いていくことを望んでいる。

人の生活は地道かつ堅実なものである。

その代表者の政治家やその人々の生活をアシストする芸能人たちが、自分の主張丸出し

で、自分の意のままにことが回っていかないと感情的になる。

こんな大人たちを子供たちはどう思うのだろう?

 

まさに今は「強引」の時代、人々の感情があらあらしくなっている時代。

こんな時代に誰がしてしまったのだろうか?

| とよ爺 | 日記 | 09:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
仲間たちに感謝、感謝

昨晩は同業者数人と食事をした。

私の引退をお祝いすると言う会で珍しく主役であった。

横浜で開かれた会合だが、私の体のこともあり、非常に健全な会合だった。

ただし、私は2時間ほどで切り上げたが、有志が何人かは二次会、三次会に出かけたようである。
本日、その一人から電話があり、その様子を聞いた。

「ずっと君の話だったよ」

「きっと俺に対する悪口オンパレードだろ」と私が聞くと、

「何言ってんだよ、とよ爺賛歌の嵐だったよ」と答えてくれた。

 

私などおそらく何もしていない。

しかしこのブログもあって、結構、多くの人を結びつけることになったらしい。

中には、「うちに顧問として来てくれないか?」などという者もいて、ただただ有り難いばかり

である。

「とにかく今は身体を治すことに専念するよ」、これが本音である。

身体に自信が持てなければ、何事もできない。

健康はお金で買えるものでもないし、静かにしていれば保てるものではない。

歳をとると、しっかりとした意志をもって戦わなければならない。

少なくとも今は戦っているという実感はある。

意志の言いつけを守って、第二の人生をしっかりと構築できるようにしたいものである。

 

と言っても、健康を取り戻したとこところで何ができるわけでもない。

やはり友人たちの協力を得ることになりそうである。

人生は一生貸し借りを作り、それを返していくものなのである。

だからと言って決して無機質なものではなく、しっかりやっていくには感謝が必要である。

すべてにおいて、感謝をしていくことが人生の基本である。

ゆえに昨晩のように感謝を感じることができる時間は非常に重要である。

 

明日も同じような会合がある。

明後日はおそらくこれからの人生の糧になるであろう方とお会いする。

水曜日は保険屋さんといろいろな話をすることになっている。

この横浜には25日、東京で兄と会う用事があるので24日に再度来ることになる。

家が複数あるというのはある意味大変なのだが、こういうことに仕えると便利なものである。

都会の夏は本当に暑い。

| とよ爺 | 日記 | 08:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
二重生活

実は私たち夫婦には2軒の家がある。

一軒は地元にある私が建てた家。

もう一軒は横浜にある女房の実家である。

女房の実家と言っても、築年数は浅く、ほぼ新築といった感じである。

今は女房と協力して、その2軒を維持している。

 

私は昨日の夜から、2軒目の横浜の家に来ている。

この家の場所は非常によく、京浜急行の八丁畷駅に徒歩5分、JR川崎駅に徒歩18分という場

所に建っている。

その割にはとても静かで、むしろ私の地元の家よりも静かな感じである。

羽田空港には20分、品川までも15分、成田空港にも品川あたりで一度乗り換えれば行ける。

という立地なので、一度は手放そうとしたのだが、子供たちが住んでもよいのでそのままに

している。

今はもしかしたら、東京で働くこともあるので、私が住んでも良いとも思っている。

 

女房はと言えば、まだ移るのは早いと考えているようである。

近所との関係もあるので、むしろ生まれ育った場所よりも私の地元のほうが良いようである。

結婚後、構築した人間関係が今は主流で、そういう理由もある。

そう考えると女性というのは本当に強いものである。

 

今回、私はいろいろなアポイントを3〜4日にまとめて横浜に来ている。

今晩、月曜日、火曜日、水曜日とアポイントをこなし、水曜日の夜に帰宅する予定である。

ほとんどが横浜・東京なので、地元から通うよりははるかに便利である。

日曜日は何もないが、近隣をしっかりと探索しようと思っている。

 

ともあれ、調子に乗っていると熱中症になってしまうかもしれない。

毎日、真夏日が続いている。

いい歳の病気持ちである、今は病気を克服することが一番の私の仕事である。

十分気を付けて、今回もアポイントメントをこなそうと思う。

| とよ爺 | 日記 | 08:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾の起源〜明道館

橋本佐内は1834年、福井城下の常磐町(現在の春山一丁目)に藩医の家に生まれる。

当然、彼は父の跡を継いで、医者の道を歩むことが運命づけられてた。

しかし、政治を志したいと思うようになり、15歳の時に「啓発録」という本を書く。

自分で自分を戒め、「稚心を去らなければならない」ということが主題のようである。

私はあまりにも勉強不足なのでこの書物は読んだことがない。ゆえに偉そうなことは何も

言えないのだが、15歳にしてこのような本をしたためる佐内のポテンシャルがどれほどの

ものなのだろう。

誰しも15歳のころは経験する、しかしこの歳になるまで仕事がら多くの15歳を見る機会が

あったのだが、ここまでの者は見たこともない。

佐内は安政の大獄に連座して26歳で命を落とすことになるのだが、生きていたのなら、お

そらく大きな仕事をなしえていたと私は思う。

 

福井は私は何度も訪れているのだが、非常にアカデミックな土地である。

また、働き者が多く、夫婦共稼ぎの家庭が多い。

二世帯が多く、世帯所得では全国有数の県でもある。

しかし、歴史的なことを考えると勝家・お市の北庄城があったり、結城秀康や松平忠直な

ど多くの悲劇を経験している。

それゆえ北の庄の北は敗北の北につながるというので廃止して、城を造った丘にたまたま

「福の井」という場所があったので、「福井」という名に改めることになったらしい。

私は神奈川で生まれ育ったのだが、晩年になって関わりを持つことになったこの地を自分

の尺度でいうとすれば、きわめてまじめな県民性を持つ県だと考えている。

神奈川とは遠く離れているので、やはり経験したこともないいろいろな事象もあるはずな

のだが、「日本一幸福な県」にしようというスローガンがあるようなのだが、県民の方々

の多くは幸福感を抱いていると感じている。

私の部下が奥さんとの縁により、この地に来ることとなり、その縁をいただいて、私もこ

の地を訪れることになったのだが、おそらくそういうことがなかったら、来ることもなか

っただろうと思われる。

私の子供が小さい頃、この福井を訪れたこともあったのだが、恐竜のイベントの参加した

記憶が強く、街中のことはあまり覚えていない。ゆえに今感じている県民性などおそらく

感じることはなかったのだろうと思う。

しかし、多くのことを踏まえて、とても魅力的な県だと今は思っている。

 

佐内を知る多くの者が童門冬二さんの本によると、「体は小柄だが、女性のように柔和な

表情をしていた。他人に対して怒ったことは決してない。議論はしたが、いつも静かに語

り、激することはなかった」と語っているようである。

安政の大獄で連想する危険な志士の印象など微塵も感じられない。もっとも吉田松陰先生

もおそらくそういうお人柄なのだろうが、思想というのはこのような実直で物静かな環境

から生まれるのかもしれない。

 

佐内の「啓発録」は今でも市内の小学校では、朝礼や社会の時間に、先生たちが話の中に

取り入れているとい

うことである。

福井の県民性はそんなベースがあり、作り上げられたものなのかもしれないのである。

| とよ爺 | 学習塾 | 09:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜61

前稿に続く。

どうやってそのスキルを鍛えるかと言えば、やはり個々の努力と勉強しかない。

悲しいかなうちの若い先生たちを見ているともともとの知識ベースが乏しい。

これはうちの先生に限らず、学校の教諭の方々を見ていても、同じことが言えると思う。

よく「ゆとり教育」下の人たちを揶揄する人がいるが、むしろその傾向はもっと前から始まって

いて、「ゆとり教育」以前の者だからと言って、学力減少が起こっていなかったわけではない。

私の世代とて、ベビーブーム下で激戦を体験した方々に比べれば、学力ははるかに劣ると思って

いる。

私の入学した大学も、私の時代には倍率25倍前後だったが、その頃倍率は40倍に近い。

要するに学ぶ内容に大きな差はなくても、競争が違うのである。

現在の私の大学の同じ学部の倍率はあって5倍程度、おそらくそんなにはないと思う。その程度

で難関大だと言われたら、昔の人に笑われてしまう。

よく私学の先生たちが言うのだが、今の早慶上智は昔のMARCH程度、今のMARCHは昔の日東駒

専程度だと話している。

 

そんなこともあり、今の若い人たちは社会に入っても勉強しなければならない。しかし、学習習

慣がついていないので、なかなかそれは難しい。

例えば、情報をネットで入れる人が多いが、ネットの情報は危ういものが多い。また、そういう

性質があるので、知識として定着しにくい。

私の偏見もあるのだが、やはり書籍、資料で入手した知識を蓄積した人はやはりインテリジェン

スに富み、視野が広い。海外のとらえ方を見てみても、そういう知識の入手ができる人間は出世

している。

また、しっかりとコミュニケーションが取れる人間も人より先んじて能力アップができる。

「ネットがレベルを落としている」とある人が言っていたが、それもあながち間違っていないと

最近感じるようになった。

通り一遍の知識は取れても、それに対する思考が育たない。

実はそれが一番大事なのである。

 

では、どうすれば育つかと言えば、実体験をさせ、それをしっかりとケーススタディさせるしか

ない。

実体験だけでは、権限を持たせても増長するばかりで、何も成長につながらない。その後の研修

がその人を伸ばすのである。

しかし、それは大変手間のかかることである。

要するに学力ベースの低下は、その後の人生に大きく影を落とすのである。

| とよ爺 | 学習塾 | 10:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾の起源〜明道館

皆さんご存知のように橋本佐内は安政の大獄で井伊直弼に処刑される。

しかし、佐内には倒幕思想などなく、むしろ幕府の屋台骨をしっかりとしようとした。

その具体的な行動が京都朝廷に工作をして、一橋慶喜を次の将軍にすべく画策をした。

しかし、その企ては秘密裏に行われたわけでもなく、幕府の意を得て行われたものでもない。

そこが引っかかってしまった。

加えて取調べに際、「自分の行動は幕府を存続させるためのもので、一切の行動は主人の越前

藩主松平慶永に指示されたもの」だと弁明した。

 

童門冬二さんの「私塾の研究」という本によると、この佐内の弁明は2つの解釈を生んだ。

ひとつは佐内がこの陳述に証拠として、自分の行った行動が一個人としてではなく、かなり組

織的なものであり、その頂点にいた松平慶永がいた構図を率直に述べたため、事件の全容が明

らかになったことを高く評価するという考え方。

もうひとつは佐内の行動をすべて主人のせいにする卑怯者だという考え方である。

 

童門冬二さんはこの2つの考え方を判断するのは難しいとこの書に書いている。

そもそも佐内には松平慶永に責任転嫁をするつもりなど何もなく、自分の行動に自信や誇りを持

っていた。加えて一切の工作が「揺らぎはじめた徳川幕府の屋台骨を、もう一度ビシッと締めて、

全国の大名を屈服させる手段にしたい」と考えていた。

本人に罪の意識もなく、何事も隠すつもりもないわけなので、その弁を「けしからんもの」とと

らえられてしまったのなら、もう逃げようもない。

 

こんなボタンの掛け違いで歴史最大と言っていいほどの悲劇が起こってしまった。

私に言わせれば正直でまっすぐなゆえに起こってしまったことなのかもしれない。

福井には「一本義」という日本酒があるのだが、まさに福井の県民性を表しているのかもしれな

い。

 

今回取り上げた「明道館」は私塾ではなく藩校である。

しかし、明道館には私塾に負けないユニークさや貫く思想があった。

そこに大きく関わっている橋本佐内、どう関わったのかをこれから書いていこうと思う。

| とよ爺 | 学習塾 | 09:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
経営者の裏の顔

いま福井から、私の会社の後継者が私の街を訪れている。

私自身は正式に来月で退社する予定なのだが、ほとんど今はその者ともう一人でわが社を

回している。

二人の役割は大まか決まっているのだが、まだ始まったばかりなのでうまく機能しない場

合もある。

そういう時には必ずと言っていいほど後ろ向きになってしまうので、気を付けなければな

らない。

 

昨晩、相談があるというので私はその一人と会食をした。

地元にいる者は授業があるので、福井から訪れているものとの話になった。

私は今は相談役のような立場なのだが、相談された内容には常に熟考して答えている。

前向きに物事を考えることができれば、会社は大丈夫である。

その点に関して、この福井の後継者は全く問題はない。

 

経営者というのは本当に因果な商売である。

どういうときでも常に前を見ている姿勢を示さなければ、周りはついてこない。

不安が体中を満たしていても、心と裏腹にふるまうことは結構大事なことである。

私のことを言うのならば、実は裏腹な時の方がはるかに多かった。

 

その裏腹というのは、一つは会社経営に関しての不安。

自分で言うのもおかしいのだが、結構、修羅場は乗り越えてきていたので、これに関し

ては、それなりに自信があり平常心を失うことはなかった。

苦悩したのはもう一つ、自分の健康との戦いだった。

 

私は塾をベトナムと福井にほぼ同時に出店した。

すべての場所に何回も訪れ、仕事の指示をし、それなりの付き合いをこなしてきた。

しかし、誰にも言わなかったが、私の心臓は悲鳴を上げていた。

特にベトナムにいるときに発病したら、最悪命が亡くなるのではと思ったりもしていた。

本当に倒れるのが怖かった。

結局、去年、富山のホテルで倒れることになったのだが、幸い友人も同じホテルに泊ま

っており、静観することができた。

 

私の後を継ぐ者も、苦しいがその顔を見せることはないだろう。

それがその者を結局大きく育てるのである。

もちろん私にはその裏の顔が嫌というほど燃えてしまう。

私にはその後継者が本当に愛おしく見えていた。

頑張ってほしいものである。

| とよ爺 | わが塾 | 14:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾の起源〜明道館

心学塾の稿でもふれたが、私の勤めていた塾は福井市にもある。

ここ3年で3教室に今年、来年と教室を増やしていく予定だが、福井の子供たちを見ていると

やはり学力テストの上位の常連ということもあり、神奈川の子供たちより、一生懸命、勉強

するように思える。

また、歴史を非常に重んじる県民性があり、この春、足羽川に花見に出かけたのだが、そこ

にステージが特設されており、私の町ならば、住民参加のカラオケ大会などが企画されるの

であるが、福井の歴史を講釈する方がいて、スライドを使いながら幕末の福井の歴史を解説

していた。

その時に全国を飛び回っている私の友人もいたのだが、その光景を見て、いたく驚いていた。

福井はそういうことを含め、非常にアカデミックな街である。

また、どの家庭にも学問の神様、天神様(菅原道真)を祀ってあり、学問に対しての県民の

考え方を知ることができる。

福井とはそういうお土地柄である。

 

今回、取り上げる明道館は実は藩校である。

塾屋の起源としては藩校はオミットするというのが私の考え方なのだが、この藩校、一人の

人物によって、劇的に変貌する。

そういう意味では個人が自由な考え方によって運営する私塾と大きな差異はなく、その中に

流れる思想、信念が十分に私たち塾屋の範となりえると思えたので、今回、取り入れてみよ

うと私は考えた。

この学校には私たちが学ぶべきものが十分に詰まっている。

 

では、その学校を劇的に変革した人は誰だろう。

この人は学校に関わっていたことよりも、むしろほかで有名な人物である。

その名は橋本佐内、かの安政の大獄で井伊直弼に処刑された人物である。

 

ではなぜ佐内は安政の大獄で処罰されたのだろう?

処罰されたということを知る人は多いが、その理由を知る人はあまりいない。

私も歴史の授業で何度もお名前はお聞きしているのだが、どういう方でどのような理由で処

刑されたのかは、知らなかった。

ある意味、歴史によくあるパラドックスなのだが、明道館を取り上げる前に、今回の主人公

橋本佐内の話から始めたいと思っている。

| とよ爺 | 学習塾 | 09:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
夏本番か?

ここのところ、毎日暑い日が続いている。

九州では大雨が降り、多くの犠牲者の方々を生んでしまったのだが、北海道は今は日本一

暑い場所だったりしている。

これを異常気象というのかはわからないが、明らかに昔の気候とは違うような気がする。

昔のことをどうこういうのは、歳をとったせいだと思うが、気候変化のサイクルがここ数

年でも明らかにおかしくなっているような気がする。

 

毎日の病魔に打ち勝つためのウォーキングも時と場所を選ばないと危険な気候となった。

今までに熱中症になった経験はないのだが(自分だけでないと思っている)、しっかりと

状況を考えて、歩かないといつかは経験することになるのではないかと思う。

女房は週に数回、パートに出ているのだが、最近は必ず「無理して歩かないでよ。歩くん

だったら、ららぽーととかにしてよ」と言葉を置いていく。

いま私の街は七夕祭りの真っ最中、渋滞を承知で街中に行く気などない。

 

仕事からは結構、離れ始めているのだが、不思議と毎日することがある。

今までにできなかったことを思い切っていやっている感じもする。

子供たちは独立して、女房と二人暮らしなのだが、やることが毎日山積みで、とにかく時

間がほしかったりする。

女房に言わせれば、「余計なことばかりしている」らしいのだが、私にとってはそれなり

に大事なことで、これから生きていくうえで必要なことばかりだと思っている。

 

しかし、この暑さでは頑張りすぎるとまた周りに迷惑をかける心配もある。

ゆえに自分の管理はしっかりとやっていこうと思う。

 

明日からは結構しなければならないことが山積みになっている。

しっかりとペース配分を守り、乗り越えようと思っている。

| とよ爺 | 日記 | 13:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
痩せたね

昨日、近所を散歩していたら、久しぶりに知人に会い、その第一声が「痩せたね」だった。

私自身、そんな自覚はなく、その話を女房に話したら、「私は何も感じない」とのことだっ

た。

もっとも一度の10kgも痩せるわけではなく、徐々に痩せていくのだから、いっしょに住ん

でいる女房は感じないかもしれないし、私も特別、毎日体重計に乗っているわけでもないの

で、そんな自覚が芽生えるわけではない。

しかし、言えるのは肥満は万病のもと、再三、このブログにも書いているが去年の病気が原

因で瘦せたということはあるかもしれない。

どちらにしても痩せることは私にはよいことなので、健康になっていると思うようにしよう

と思う。

 

体重は変わらなくても、今は毎日結構歩いているので、その分、筋肉が締まり、瘦せること

ができたのかもしれない。

加えて結構日焼けをしているので、少し瘦せて見えるのかもしれない。

どちらにしても身体の調子は良いので、気になることはない。

 

ついに7月となり、来月で発病から一年を迎える。

丸一年、結構強い薬を飲まなければならず、あまり無理はできなかったが、やっとその束縛

から解放される日が近づいている。

その束縛から解放されれば、新たに第二の人生を少しずつ歩んでいこうと思う。

有難いことに多くの方々から、お声をかけていただいている。

それに備えるにもやはり体はできる範囲で鍛えておかなければならない。

そういう意味で今はそれなりに充実している。

 

しかし、女房にとっては鬱陶しいようで、私に対する言葉が日々厳しくなっている。

君子危うきに近寄らずで、家の外に逃げようとするとそれにも腹が立つらしく、家にいて、

少し家事を手伝いなさいということなのだが、私はそれなりにやっていると思っている。

むしろこれ以上やってしまったら、彼女の仕事を奪ってしまうし、私のやり方が気にいらな

いらしく、「かえって大変」と怒られているばかり。

豊田真由子議員の元秘書のような気持ちで毎日を過ごさなければならない。

これも結構きつかったりする。

とは言え、毎日は結構充実しているような感じである。

速く一年が経たないかと日々を数える毎日である。

| とよ爺 | 日記 | 09:37 | comments(2) | trackbacks(0) |
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