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第2の故郷〜スペイン〜91
この記事から第三章に入るのだが、マドリッドでの大学生活を書こうと思う。
私がマドリッドにいた1970年代にはいろいろなことがヨーロッパで起こっていた。
その中で私にいちばん影響を与えたのが、日本赤軍の若者たちである。
私は彼らのために普通の留学生が経験しないような経験をすることになる。
スペインの人たちも彼らのことを“HARAKIRI”と言って恐れていた。

帰国後、私は直木賞を取った逢坂剛さんの小説「カディスの赤い星」を読んだのだが、
まさにその小説の中で起こったようなことを何回も経験した。
みなフィクションだと言って、本気にしなかったが、
本当に私がいた頃のマドリッドはあの小説のような場所だった。
しかし、これから書くのは私にとって嫌な思い出ばかりではない。
初めて体験したマドリッドでの大学生活は夢に満ちあふれた素晴らしいものだった。
私は生涯よき思い出として、自分の人生を終わるに違いない。
同級生たちが同時期に日本の大学に進んだのだが、
私の経験した大学生活はやはり彼らのそれとは異質のものだった。
それが今の私の中で大きな財産となっていることは間違いない。
ではこれから、ほとんどの留学生が体験したことのない私のマドリッドでの留学生活を
綴っていくことにしよう。

前の記事の終わりはマラガ駅で終わった。
私はマラガの駅から、マドリッド行きの特急列車に乗った。
その特急列車の名前は間違えているかも知れないのだが、“プエルタ・デル・ソル(太陽の門)”と言った。
私が初めての留学生活を始めたアンダルシアのマラガ辺りのことを“コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)
と言うのだが、確かその特急列車の事はそう呼ばれていたと思う。
もっとも意味合いから言って、マドリッド→マラガの名称であり、
私が乗ったマラガ→マドリッドの電車ではないかも知れないのでイマイチ自信がない。
しかし、スペイン人はアバウトなので、両方言ったのではないかと思う。

その列車は日本の出稼ぎの人たちが乗る電車のような趣もあった。
マラガの駅には夢を持ってマドリッドに向かう若者たちがたくさん乗っていた。
その若者たちを見送る縁者のパーティーも結構マラガの駅で私は見かけた。
マラガの田舎者から見れば、都会のマドリッドはやはり夢の都なのだろう。
彼らの中には日本と同じで結局は都会で傷つき、挫折し、ぬくもりを求めて里帰りする者も多い。
そういう意味で都会はどの国も同じで、白黒をはっきりさせる場であるのだ。
私も日本人だが同じような気持ちでその特急列車に乗ろうとしていた。
私にとってもマドリッドはまだ見たこともない夢の場所だった。
その時は1秒でも早くマドリッドの地を踏みしめたかった。
マラガの街にも後ろ髪を引かれる思いがしたが、やはりその当時の私は20歳になったばかりの若者である。
都会に対しての夢を同年代の若者と同じようにもっていたのである。
                                                       (つづく)

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