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モンテッソーリ教育

モンテッソーリ「子供の家」の教室に入ると、整然と並ぶ色とりどりの「教具」と呼ばれる木製玩具が目に飛び込んでくる。これらはモンテッソーリの感覚教育法に基づく教材で、モンテッソーリとその助手たちが開発した。モンテッソーリ教育法では教具の形、大きさは無論、手触り、重さ、材質にまでこだわり、子供たちの繊細な五感をやわらかく刺激するよう配慮がなされている。また、教具を通し、暗記でなく経験に基づいて質量や数量の感覚を養うことと、同時に教具を通して感じ取れる形容詞などの言語教育も組み込まれている。(ウキペディアより)

一部のマスコミで報道されているように、この教育ではユニークな教材が使われる。

その目的は、私が勝手にそう思っているのだが、子供たちが集中力をもって取り組めることができると

いうことが一義であり、知識を詰め込むという内容のものではない。

そういうこともあり。この教育は幼少期から可能であり、親御さんの考え方で早くから始めることもで

きる。

しかし、いわゆる知識教育と違って、テストのような効果がはっきりでてくるものはあまりなく、もち

ろん個人差もあるので、短い期間で大きな効果を望むのはやはり難しいのではないかと思う。

正直、私たち学習塾でも、短期間ではテストの対応するスキルは何とか身につけさせても、それが学力

の向上とはっきりと言えるかと言えば私に言わせればそれは否である。

「学問に王道なし」と昔から言われているが、自らが粘り強く試行する姿勢は短期間ではなかなかでき

ない。これはこのモンテッソーリ教育でも同じで、何らかの目的意識を持たなければ育たない。

この教育は私に言わせれば、子供たちの興味から始まり、それにより何らかの目的意識を持たせ、その

結果から、集中力を生ませるという道筋がはっきりと見える。

元来はどの教育でも共通するものではあるのだが、なかなかそういうことが今の教育現場からは見いだ

せない。

一時「生きる力」を育ませるという言葉が、学校教育の中で氾濫していたが、そのブームは去り、あれ

は何だったのかという人たちも多い。

しかし、教育の本質を言うのなら、それは真理なのだと思う。

 

上の文章に書いてあるよう、「暗記ではなく、経験に基づいて質量や数量の感覚を養う」ということが

必要な世の中になってきていると感じることが多い。

知識だけでなく、経験で動ける人間を増やす必要がある。

例えば、現在、国会議員の不適切な行動や発言が毎日のように取り上げられているが、経験則があるの

なら、そういう間違いは起こさないだろうと思えることがたくさんある。

やはり私もギリギリその世代なのだが、戦後教育で間違っていた部分はあったのではないかと思う。

ゆえに何度も言うのだが、教育は革新的な部分を必要とするのである。

 

もうひとつこの教育がすぐれているのは感覚を重視するということである。

感覚は芸術的な感性であるという人もいるが、私に言わせればそれは間違っている。

藤井聡太君のいる将棋界は芸術界ではないし、世のすべての仕事に感覚は必要なものではないかと私は

思う。

むしろあらゆる事業で成功する人たちは、やはりそれなりの鋭利な感覚を持っている。

知識が感性に勝るということは多々あることなのだが、逆も多々あることなのである。

この教育は私たちにそういう価値観を教えてくれる。

ゆえに立派な教育理論なのである。

| とよ爺 | 教育思想 | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
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