子どもたちのことを真剣に考えましょう。

<< 塾の起源〜明道館 | main | 大荒れ >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | | - | - |
塾の起源〜明道館

佐内はまもなく明道館の改革に着手する。

まずは城内にある明道館を中心として分校を作った。

また同時に藩内の武士たちが勝手に作っていた学問や武術の道場を閉めさせた。

加えて新しく算科局と洋書習学所を設けた。

 

また技芸を重視し、当時の「技芸卑視」の風潮を払しょくした。

要するにより実践的な学問を重視したのである。

もちろん学生たちは反発した。

それまではまずは武士精神を極め、それから技芸を学ぶという考えが主流だったからだ。

武士精神を無視するような考え方は当然反発を呼ぶ。

しかし、実際に「それを学んだところで君たちはすぐに現場で役立つことができるのか」と佐内は

皆を説得した。

それはそれなりの説得力があった。

また、佐内は経済活動を重視した。

学生はそれにも多くが反発をする。

それまでは、「経済は卑しむべきもの」と教わっていたからである。

佐内は経済とは経世済民【世を経(おさ)め、民を済(すく)うの略】が目的だ。

組みを富ませ、民を幸福を与えるにはあらなければならないものだと話した。

 

そして、こう結ぶ。

童門冬二さんの「私学の研究」の文章を抜粋する。

「私は世間で悪徳と言われているようなことが、逆に人間が能力を開発する美徳だと信じている。

豪放磊落、不羈奔放、果烈狷介などを尊ぶ。なぜならば、こういう能力を持つ人材は、必ず大節義、

大機略、大作用、大処理を行うからだ。(中略)この福井から日本海のかなたの大陸、あるいは一

転して太平洋のかなたの全世界に目を向けよ。君たちには、そういう素養があるはずである。もし、

君たちの豪放磊落、不羈奔放、果烈狷介の性格を云々するような者がいたら、その責任はすべて私

がとる。子の明道館ではあくまでも題を目指して、君たちが自分の能力を体の底から噴き立てるこ

とを望む」

 

こんなことを言われて、感動を受けない若者はいない。

佐内の改革はこういうことから始まった。

しかし、改革に携われたのはわずか一年足らずだった。

慶永の腹心として、京都に「一橋慶喜擁立運動」工作に派遣されたからである。

のちにこれが安政の大獄に続いていくのだが、なんとも悲惨な結果をもたらしてしまったのだろう。

 

読んでいただいる皆さんにはよくお分かりになるだろうが、経済を重視したことにおいて、佐内は

石田梅岩と同じである。

経済が「経世済民」の略だと知っている者は少ないと思う。

現代では学ぶ者は多いのだが、この時代にはとても卑しいものだと思われていた。
「士農工商」という言葉でもわかるのだが、武士にとっては卑しいものだったのである。

両名とも本質を考え、それが不可欠なものだとリベラルな気持ちで教えることができている。

私も子供たちにかかわってきた一人だが、常にこうありたいと考えてきた。

その思いは何度も指導の局面において、私を間違いから救ってくれた。

目の前の子供たちにいったい何が足らなくて、こんな自分でもそれを満たしてあげられるのか。

当時の私の尊敬する者たちは、誰もがそういう確信を持っていたように思う。

| とよ爺 | 学習塾 | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | 10:10 | - | - |









http://toyojie.jugem.jp/trackback/10799
CALENDAR
SMTWTFS
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
SPONSORED LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
このページの先頭へ