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教育の見直し
子供の権利 甘やかさない教育必要だ
2014.1.26 03:06 産経新聞

 また高知県では、条例の審議過程で「休む・遊ぶ」権利が批判を浴び、削除された。子供に媚(こ)びる前に、教えるべきことを教えなければならない。

 最近も、いじめや児童虐待などが相次ぐ中で、子供のための条例を検討する自治体がある。

 長野県で検討されている条例の骨子案では、保護者が教育に責任を持つことや、子供に規範意識を身につけさせることが盛り込まれ、過度に子供の権利を強調しない内容にはなっている。

 しかし、その趣旨は条例名にあるように、子供の「支援」を内容としており、誤解を懸念する専門家もいる。子供の顔色をみるばかりで、厳しい指導ができないというようでは困る。慎重に検討してもらいたい。

 滋賀県で開かれている日教組の教研集会では、委員長あいさつで「子供の権利としての教育ではなく、国家の意思としての教育が前面に出ようとしている」などと言及された。規律や公共心育成などを重視した安倍晋三政権の教育再生の取り組みを暗に批判したものとみられる。

 しかし、わがままを正せない親や教師の教育こそ見直してもらいたい。だめなことはだめとしっかり教えたい。
この産経新聞の記事にあることは、まさに日本の教育の欠点である。
権利というのはここが主張をすると、ぶつかる場合が多い。
ゆえにどちらの権利主張が有効化という尺度を持たなければならないだろう。
権利論議の歴史のないわが国にとって、それは非常に難しい判断となる。

子供の権利に対しては、教育という大前提があり、これを踏まえたうえでの権利で
なければならないと私は思う。
日本の権利はそういうところが曖昧でただ主張しているだけのように
私には見えてしまう場合もある。
ゆえにやはり道徳や教育を優先することを前提に権利を認めて欲しいと思う。

また、大人もいけない部分がある。
権利というのを自分たち有利なように使うことだけを考え、相手にも権利があるのだが、
それを認めない人が多い。
こういうことは権利ではなく、わがままと私たちは教わってきた。
権利=わがままでは、日本の文明度が低いと言うことを証明するだけである。

最近の学校や子供たちを見てみると、何だかどんどんおかしくなってきているように思う。
もちろんいけないのは大人たちなのだが、それを自覚している人はどれほどいるのだろうか?
                                    (終わり)

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| とよ爺 | 教育思想 | 00:01 | comments(4) | trackbacks(0) |
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おはようございます

私は昭和50年代に小中高時代を過ごしました。
当時の私が今の世の中を見たら「近未来だ」と思うでしょう。
恐ろしいスピードで世の中は変わっています。

本当に何をどうすればいいのか迷いばかりです。
ただ、子供には五感を使って生きていってほしいとは思います。
そして、私は昭和50年代にも大勢いた大らかでおせっかいなおばさんとして
毎日地域で過ごしていたいなとも思っています。
| チー | 2014/01/28 9:18 AM |
チーさん、コメントありがとうございます。
今の企業は若者の回避性症候群というものに悩まされているよ
うです。
自分に負荷がかかることからはすぐに逃げてしまうのだそうです。
社会は厳しく、逃げ場所はありません。
そういうことを考えても、もっと厳しい教育現場でなければな
らないと思うようになりました。
おせっかいなおばさん・おじさんの存在は非常に需要で教育再
生会議の中でもその必要性は議論されました。
私もおせっかいな老人でありたいと思います。
| とよ爺 | 2014/01/28 1:17 PM |
お久しぶりです。
確かに
権利=わがまま
って言う公式がまかり通っているような気がします。
それが、民度の低さを物語るというのも頷けます。

最近、柳宗悦という思想家の本を読みました。
中見真理さんが書いた岩波新書の本です。

その本の中に
梅の花は、桜の花をそしることなく梅であるのがよく、
それによって、自然を美しくすべきなのであり、
桜も梅もそれぞれの独自性を失ってしまうならば、それは世界にとっての損失となる。
と書かれてありました。

今まで大人が想像もしていなかったグローバル社会において、そう言う独自性を育てること、
さらには、その独自性を認め合うこと、そう言った教育が必要だと感じます。
つまりは、画一的な思想にとらわれることのない道徳教育が最も必要ということで、
それは、大人も子どもも同じように学ばなければいけないような気がします。

昭和50年代も、
男は男らしく、女は女らしく、
そう言うカテゴリーにわけた教育がまかり通っていました。
そう言った教育を受けた自分たちが、そう言う考えを受け入れつつも、新しい時代の多様性を認め合う思想を構築していかなければならないような気がします。
だから、大人の価値観だけで、子どもを縛る事なく、対等に学ぶ姿勢も必要なのではないでしょうか?
スタートラインが一緒であれば、子どもと一緒に考えていくという教育も必要な気がします。
| つばめひこうき | 2014/02/03 4:17 PM |
つばひこさん、コメントありがとうございました。
こちらこそ、ご無沙汰しております。

子供の価値観を作る、まさにこれは非常に大事なことです。
子供たち自身が考えて、価値観を形成するに越したことはありません。
しかし、どの時代もそうですが、価値観の形成には親や学校環境が
かなり大きな影響を与えます。
そういうことを大人たちは十分配慮してほしいと思います。
個性とか、この魅力は個人の人権で形成されるものでもありません。
そういうことを考えると非常に難しいものだいです。
| とよ爺 | 2014/02/05 12:51 AM |









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