子どもたちのことを真剣に考えましょう。

教育腐敗

ここのところ森友問題、加計問題と学校教育の問題が湧き上がっている。

双方とも総理(夫人も含む)がらみの問題だが、マスコミ等で言われているよう、官僚たちの

立ち振る舞いも問題になっている。

そもそも官僚たちの人事権を内閣府が持っていたら、自由に動けないのが必定で、三権分立

など、まったくもって機能していない。

行政府の長は内閣なので、厳密にいえばそうではないという人もいるが、立法と行政の区別

もわからなくなっていて、三権分立のふたるの権利を内閣が持っているような状況なので、

モラルのある政治運営などできるはずもない。

 

それが私としては独立していてもらいたい教育の分野に影響を及ぼしているのだから、国の

将来などわかるはずもない。

現総理はそれなりに評価も高く、実績を残しているのかもしれないが、やはり独裁という感

じも否めない。

民主主義の中の総理なのだから、不可侵な部分もあるべきではないかと思う。

 

今回の前川元次官の話でも、本来、関係のないゴシップまで官房長官が話している。

そもそも核心はそこではないのだから、その必要性はあるのかが疑問である。

ああいう話を官房長官自ら公式の場でいうのだから、政治の世界も狂っていると思ったりも

する。

 

私のような者がこんな話をしたとしても、何の影響もないのだが、意見を持ってもよいので

はないかと思う。

今の世の中では一人一人の意見の積み重ねが世論となるというような神話はにわかに信じら

れないが、単に酒のさかなで終わってしまうのもどうかと思う。

学校には子供や若者がおり、この国をこれから背負っていくわけである。

政治家は自らの体を張って守らなければならないと私は思う。

官僚も含めて、自己の利益、自己の保身のために真実を捻じ曲げてはならない。

本当に悲しい時代になってきてしまったものである。

| とよ爺 | 学校教育 | 09:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育委員会は必要なのか?
教育委員会改革案に大義なし 教育評論家・石井昌浩
2014.3.8 産経新聞

 教委改革の争点は、民意を代表する首長が教育行政にどこまで関与すべきかという点にある。実は教育関係予算の編成・執行のすべてが首長の権限に属するなど、現在でも教育の分野における政治の優位性は制度として保障されているのだ。選挙の結果次第で、その時々の政治の都合によって教育が左右されるような事態を招いてはならない。教育には時代の変遷に耐える継続性・安定性と専門性・独立性が求められている。

 政治主導の制度に組み込まれてしまえば、たとえ名ばかりの執行機関として残るにせよ、大義を失った教育委員会が形骸化した組織となるのは必至である。日本の教育の未来を見据えた、入念な議論を深めてほしい。
私はかつてこのブログに教育の歴史という記事をアップしたことがある。
もちろんそこには教育委員会のことについてもふれてある。
どういう経緯でこれができたかを知ると、やはり当時と今では全く状況が違う。
そう言うことを考えると、教育委員会のあり方を考えるより、存在自体の必要性を
考えた方がよいのではないかと思う。

中途半端にやるよりは、一度ぶちこわして、全く新しい組織を立ち上げた方が
良いのではないかと思う。
やはり管理する者は客観性が持てるものでなければならないと思う。
そういう意味では今の教育委員会の存在は私には不可思議である。
学校の自浄作用に大きな影を逆に落とす存在のように私には思えてくる。
とにかく議論をするのなら、しっかりとやって欲しい。
いつものように中途半端で聞こえなくなってしまうような議論はしないで欲しい。
                                   (終わり)

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教育委員会は必要なのか?
教育委員会改革案に大義なし 教育評論家・石井昌浩
2014.3.8 産経新聞

 そもそも教育委員会改革を論じるのなら、制度に問題があるのか、個別の運用の問題なのか、それともその掌(てのひら)にあたる人間の資質の問題なのか、突き詰めた議論を先にすべきなのだ。それをいきなり、首長への権限移譲を持ち出すのは論理の飛躍である。

 たしかに教育委員会は終戦直後の占領下に、米国教育使節団の勧告に沿って誕生した制度である。アメリカ直輸入のシステムが現在に至るもそのまま残っているため、教育委員会制度には建前と現実の乖離(かいり)している部分があることは否定できない。しかし、制度導入にあたっては、戦前の内務省による地方教育行政支配への反省があったことも忘れてはならない。
ここで言う首長に権限を委譲したところでどうにもならないと言うことは
みながわかっている。
そもそも何度も言うが、こういう委員会なるものが必要かどうかもわからない。
いちばん病んでいるのは身内が身内を裁いたり、指導したりするシステムである。
公正にやるには今のままでよいわけがない。

教育委員会を経験した人間が学校に戻り校長、教頭になるということは日常茶飯である。
委員会にいるときに豪腕をふるってしまったのなら、現場に戻ってみなからはじかれる
可能性もある。
そう言うこともあるので、教員たちから見れば骨抜きの委員会である。
ゆえにお互いを庇うことしかできないのである。
中には当てはまらない委員会もあるだろうが、失態を犯した委員会はみな同じである。
                                    (つづく)

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教育委員会は必要なのか?
教育委員会改革案に大義なし 教育評論家・石井昌浩
2014.3.8 産経新聞

 制度改革論議のきっかけは滋賀県大津市で起きたいじめ自殺事件だった。その時に、教育委員会が迅速で的確な対応ができなかったこともあり、合議制教育委員会の責任のあいまいさが浮き彫りにされて、厳しく批判されたのだ。

 ところで昨年4月に公表された政府の教育再生実行会議の「教育委員会制度等の在り方についての提言」では、首長が直接任命する教育長を地方公共団体の教育行政の責任者とするなど3項目をはじめ、現行制度の存続を基調とする抑制されたトーンでまとめられていた。安倍晋三首相も「誰が責任を持っているかが明確になっていないところに最大の問題がある」と国会などで再三述べている。

 このように制度改革論議の焦点は、教育委員会における責任の所在の明確化だったはずであるが、いつの間にか、教育行政の仕組みそのものを根こそぎ変える議論にすり替わってしまったのだ。
責任の所在についてここで取り上げているのだが、責任の所在がはっきりしても
しっかりと責任を取ってくれるのかもわからない。
教育関係者は私に言わせればいちばん責任を取らない人種である。
例えば、生徒にわいせつな行為をしても、職を辞するだけであまり罪に問われない。
教職に就く者だからこそ、そう言う処分はきつくしなければならないのではないだろうか?
彼らはみな公僕なのである。

ここでは教育行政そのものの議論になったことに反論している感じなのだが、
私個人の考えでは、それも必要なことだと思う。
教育委員会がそれほど教育行政に関わっていることを表しているのではなかろうか?

今でも責任を取ろうと思えば、絶対に取れるはずである。
この人たちは自分たちの責任を他に回しているような感じさえ私は受ける。
そう言う人たちの責任を明確にしても、それが機能するかは正直わからないと私は思う。
                                    (つづく)

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教育委員会は必要なのか?
教育委員会改革案に大義なし 教育評論家・石井昌浩
2014.3.8 産経新聞

 さまざまな模様をはぎ合わせたパッチワークを思わせる自民党の教育委員会改革案である。しかし首長を教育行政の司令塔に据える基調だけは変わっていない。

 もともと昨年末の中教審の答申は、首長を教育行政の中枢を担う執行機関と位置づけた上で、教育委員会を首長の付属機関とし、教育長を首長の補助機関とするなど、現在の教育委員会を大幅に格下げ骨抜きにする内容だった。それに比べると自民党の改革案は、教育の中立性について配慮するなど、ソフトに手直しされている。

 それでも首長が主宰する「総合教育施策会議」を新設し、教育行政の重要施策を定めることを通して首長が実質的権限を握るという一点で、現行の教育委員会制度は根底から変えられることになるのだ。それで我が国の教育は本当に大丈夫なのだろうか? 政治主導の教育に変えることが、いま抱える諸々の問題や将来の教育課題の解決に役立つとは考えられない。
最近、教育委員会のあり方について、いろいろと議論されている。
私もこのブログでかつて教育委員会のことをずいぶん取り上げたことがある。
もちろんその中でいろいろな役目について書いたのだが、書いている私本人でも
なかなか教育委員会がどのように機能しているかがわからない。
よく知るのはいじめの事件なので、記者会見に教育委員会のお偉方が出てきて、
必ずと言っていいほど、責任逃れをしている弁を聞くのだが、
ああいう様を見ていると、一体これが必要なものかもわからない。
ここに書いてあるのだが、首長が教育行政をしっかりと運営するためにあるとも
言えるのだが、ここにも書いてあるようにそれが機能しているとは思えないのである。

機能しないのは当たり前で、教育委員会は身内で運営している組織である。
教職員たちの中で管理職を経験するための登竜門といった感じの職業ではないかと
思えるときも少なくない。
そう言うこともあるのでなおさらその役目はわからない。
仕事やあり方を変えるという議論が多いが、実際に必要なものなのだろうか?
                                  (つづく)

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私たち大人たちも勉強すべきである
大人も読みたい新教材「私たちの道徳」 日本人としての自覚、礼をつくす「道」の精神…
産経新聞2014.2.23 12:00

■「道徳教育は国家が責任を持つべき」

 問題は、この新教材が学校現場で適切に活用されるかどうかだ。日教組や一部マスコミは道徳教育に反対しており、小中学生に配布しても、授業では扱われない可能性もある。

 戦前の道徳教育は、正式科目「修身」として、国定教科書によって行われていた。元神奈川県教組委員長で教育評論家の小林正氏によれば、その内容は明治23年発布の教育勅語に沿ったもので、戦時色が強くなった昭和16年以降をのぞけば、孝行、友愛、博愛、義勇など12の徳目を分かりやすく教えることが中心だった。

 ところが戦後、GHQの指令や圧力で修身は禁じられ、教育勅語も失効となった。「GHQは、教育勅語に示された徳目は優れていると認めていたが、『一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ』の一文を問題視したようだ」と、小林氏は話す。

 その後、1951年のサンフランシスコ講和条約で主権を取り戻した日本政府は、道徳教育の復活を目指すが、日教組が強硬に反対。昭和33年から小中学校で週1時間、「道徳の時間」が設けられたものの、正式な教科ではなく、ホームルームに充てられるなど形骸化しているのが実情だ。

 小林氏は「道徳教育について、日教組はしばしば『国家による価値観の押し付け』などと批判するが、自分たちこそイデオロギーを子供たちに押し付けている。道徳教育は国家が責任をもち、きちんとした教材を使って、国民の目の見えるところで行わなければならない」と指摘している。
日教組は道徳の子供たちへの押しつけを嫌うが、日教組も自分たちの思想を一方的に
周りに押しつけているように私には見える。
教育とはもっと自由で開放的なものであり、それを閉鎖的にしてしまうと思わぬ思想を
生んでしまう可能性もあり、とても危険なものである。
北朝鮮などを見ても、やはり教育に制限がかけられていて、何とも不自然な感じがする。
しかし、もうweb上では至る所に行くことができるし、時代が変わっているのである。

国家が道徳教育に責任を持つのは当たり前である。
道徳は国民性を決定づけるファクターにもなる。
ゆえに国家がしっかりと道徳教育に取り組むことは非常に大事なことなのである。

5稿にわたって、道徳の問題を取り上げてきたが、やはり良いと思うことは
しっかりと教育に取り上げて欲しいと思う。
いろいろな人が共存していかなければならない現代のこの国でやはり道徳教育は
必要なものであると私は思っている。
機会があれば、私もこの教科書を読んでみたいものである。
                                   (つづく)

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私たち大人たちも勉強すべきである
大人も読みたい新教材「私たちの道徳」 日本人としての自覚、礼をつくす「道」の精神…
産経新聞2014.2.23 12:00

■ようやく盛り込まれた日本古来の「道」の精神

 さまざまな題材が新教材に掲載される中、道徳教育に詳しい高橋史朗・明星大教授が注目するのは、武道や茶道など日本古来の「道」の精神が盛り込まれたことだ。

 小学5・6年生用には、「人間をつくる道−剣道−」とのタイトルで、試合に負けた後でも立派な態度で礼をする剣道の美しさを読み物にして掲載。「剣道は、『礼に始まり礼に終わる』と言われるように、礼というものをとても大切にします。これは、日本人が昔から大切にしてきた相手を思いやる精神です。我々が受けついでいかなければならないことです」と諭している。

 中学生用でも「礼儀」を取り上げ、「日本の伝統文化である茶道や華道、武道などにおいては、それを楽しむことや技を磨くことだけでなく、自分を律する心や相手を尊敬し感謝する心を大切にし、それを礼儀の形で表している」と説明している。

 こうした題材について高橋教授は、「武道など『道』の精神は、技とともに戦前の学校では広く教えられてきたが、戦後はGHQによって禁止された。昭和28年の中学学習指導要領で柔道などが『格技』の名称で復活したものの、体育の授業で技を教えるにとどまり、精神面についてはなかなか学校教育で教えられなかった。それが今回、国が作成する道徳教材の中で取り上げられたことは、日本人としてのアイデンティティーを育成する上で、とても意義深い」と話す。
教育改革が世間で騒がれたとき、新しい教科や学習に目が行きすぎ、昔からある
すばらしい伝統や歴史を軽視した時期があった。
特に精神的なものは、こういう考え方が過度の受験戦争を生んだと隅の方に
追いやられる結果となった。
ここに来て、昨今の若者や子供たちを見て、それが間違いだとわかった人が
多かったようである。
それゆえこの記事でも。「ようやく盛り込まれた日本古来…」というように
「ようやく」という言葉が入れられたと思う。
ついにかつての先人の功績を文科省は認めたわけだ。

しかし、世界の教育を見てみるとそういう文科省の考え方はいかにおかしいかがわかる。
人の営みには歴史があり、それを教訓にして現代人は生きている。
それを否定すること自体が非常にナンセンスで、まったく筋が通らない。
本当にお役人というのはおかしなことを考えるものである。

もっともっと道徳に限らず、歴史でもしっかりと取り上げて先人の勉強をして欲しい。
特に義務教育には必要なことだと私は思う。
                                    (つづく)

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私たち大人たちも勉強すべきである

大人も読みたい新教材「私たちの道徳」 日本人としての自覚、礼をつくす「道」の精神…
産経新聞2014.2.23 12:00

 小学3・4年生用で取り上げられたのは、2000年のシドニー五輪で日本人女性として初のマラソン金メダリストとなった高橋尚子の物語「きっとできる」だ。

 高校時代、予選落ちなどまったく結果の出なかった尚子が、大学時代の練習中、走りながらふと気づく。

 《人と戦うんじゃない、自分の記録と戦うんだ》

 《長い階だんを一気にかけ上がろうとすれば、途中でばてる。時間がかかっても、一だんずつしっかり登っていけば、上まで登り切れる》

 昨日の自分の新記録を、今日の自分が破るという挑戦を続けながら、最後は金メダルに輝く尚子の物語を通じ、「粘り強くやり遂げる」ことの大切さを説いている。

 小学5・6年生用には、「赤ひげ先生」として知られる江戸時代の町医者、小川笙船(しょうせん)の物語が掲載された。

 八代将軍吉宗に建言して貧者のための「小石川養生所」をつくってもらい、寝る間も惜しんで貧しい病人たちの治療につとめる笙船が、ある日、元気になった貧者の一人から、恩返しにとたくさんの大根を届けられるというストーリー。

 社会の中で自分の役割を自覚し、その責任を果たすことの意義を考えさせる内容になっている。大人が読んでも、心をうつ物語が並んでいる。
スポーツ選手を取り上げるのもおもしろい。
やはりテレビでよく見かける人などの話はそれなりに興味が持てるものである。
頑張っている日本人はスポーツ界以外にも星の数ほどこの国にはいる。
道徳を通して、それを学べることは非常によいことである。

昔の人の話もそうだ。
道徳の視点は、歴史の視点とは違う。
私に言わせれば、道徳は人間学でもある。
この人間学を生きていく上で、結構指針になるものである。

今の学校ではあまりにこういう機会が少なすぎる。
「生きる力」を養うということで総合学習などにも取り組んだが、成功例は少ない。
私はやればある程度の成果が見込める道徳の方が望ましいと思う。
慣れるにつれて、総合学習的なものも学べばよいと思っている。
                                    (つづく)

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私たち大人たちも勉強すべきである
大人も読みたい新教材「私たちの道徳」 日本人としての自覚、礼をつくす「道」の精神…
産経新聞2014.2.23 12:00

 コンコンチキチキ、コンチキチン…。京都に住む小学生が、祇園祭に向けてお囃子(はやし)の練習に励んでいる。しかし最初はなかなか上手に鉦(かね)を合わせることができず、周りの大人に叱られたりして、「もう、やめたい」と弱音を吐く。

 すると父親が、こう言って励ました。

 「お父さんも、よく おじいさんに しかられながら、れんしゅうしたものだ。みんな、そうやって、千年もつづく ぎおんまつりを まもってきているんだよ」

 この言葉に力を得て、小学生は練習を続け、祇園祭で鉦を気持ちよくたたくというストーリー。「自覚」や「伝統」といった難しい言葉はなくても、日本の伝統文化を親から子へ、子から孫へと継承する姿勢を、自然に学ばせる構成になっている。

■あのメダリストの秘話も…「自分の記録と闘うんだ」

 「私たちの道徳」にはこのほかにも、(1)いじめの未然防止につながる題材(2)社会に進んで貢献しようとする題材(3)情報モラルを高める題材−などが重点的に盛り込まれた。

 著名人の伝記や名言も多く、坂本龍馬、二宮金次郎、緒方洪庵、葛飾北斎ら歴史上の人物や、イチロー、澤穂希、内村航平ら世界で活躍するスポーツ選手らのエピソードなども紹介されている。
昔の子はこういういろいろなエピソードを話してあげると、目を輝かせてそれを聞き、
それなりに感動していたことを思い出す。
今の子供たちの中にももちろんそういう子は多いのだが、中にはそういう話に興味を持たず、
寝てしまったり、何も聞かずに落書きをしていたり、問題を解いている子が多い。
親御さんによっては、塾で勉強を教えずによけいな話をしているとクレームを
拝受する場合もあるのだが、こういう話はお互いに信頼感を築き上げるのに必要であり、
そういう信頼感が軌道を逸れてしまいそうになった子供を軌道修正することができる
ものであり、子供たちに関わっていく時点で、非常に重要なものである。
学校でも昔の先生はよくそういう話をしたもので、私も時々生徒たちからその話を聞いて、
さすがにプロだと感心したこともある。
しかし、最近ではそういうことがあまりなくなってしまった。

道徳でこういうエピソードを取り上げることは非常によいことだと思う。
子供たちは知らないうちに多くのことを考えるものである。
大人になれば、数学の公式よりもはるかにそういうことを覚えているもので、
人生を送る上でもプラスになっている場合も多い。
道徳とは、そういう万能科目である。
今回、こういうものを作り、目的を持って、授業をすることは大変良いことだと私は思う。
                                   (つづく)

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私たち大人たちも勉強すべきである
大人も読みたい新教材「私たちの道徳」 日本人としての自覚、礼をつくす「道」の精神…
産経新聞2014.2.23 12:00

 戦後長く敬遠されてきた「道徳教育」が、小中学校でようやく本格的に行われようとしている。下村博文文部科学相は今月、道徳の教科化を中央教育審議会に諮問したほか、小中学生に配布する新たな道徳教材の内容を公表した。日本教職員組合(日教組)など一部に根強い反対がある中、新たな道徳教材で子供たちに何を学んでもらうのか、その内容は…。

■祇園祭の練習から導かれる伝統文化継承の大切さ

 「日本には四季があり、美しい風土がある。先人たちは、これらに合った生活様式や文化、産業などを生み出し、我が国を発展させてきた。これらを受け継ぐとともに、日本人としての自覚をもって、この国を愛し、その一層の発展に努める態度を養っていきたい…」

 文科省が作成した新教材「私たちの道徳」の中学生用に書かれた一文だ。この新教材は、現在配布している「心のノート」を全面改定し、ページ数を1・5倍に増やすなど内容を充実させたものだが、とくに「日本人としての自覚」を深めるテーマが数多く盛り込まれた。

 小学1・2年生用の教材にも、「日本人としての自覚」と「伝統文化を受け継ぐ心」の大切さが、次のような分かりやすい物語で示されている。
2月23日の産経新聞にこんな記事が載った。
道徳授業については、いろいろな場所で議論を呼んでいる。
この記事は「私たちの道徳」という中学生用の道徳の教科書を取り上げて。
その内容から、大人も読むべきだと訴えている。
私自身も子供たちの道徳教育をやる前に大人たちは道徳という言葉をしっかりと
理解しなければならないと考えており、そういう意味でこの記事は非常に
興味深いものであった。
この新聞記事を5稿の記事で取り上げて考えてみたいと思う。

まずは日本の伝統文化を受け継ぐということだが、道徳だけではなく
社会か教育も新学習指導要領以来、重要視されないカリキュラムになった。
これは大きな間違いで、確かに国際教育や情報教育も大事だが、
この手の教育は精神的な面から言って、非常に必要なものである。
そういう意味で健全な精神が養われにくい方向にここのところ学校はシフトしていった。
その結果、どういう世の中になってしまったのかはわかるだろう。

こういうことを軽視するのは子供たちだけではなく、大人もそうだと言うことが
この国のいちばんの問題ではないかと思う。
この記事を読んで、私たちはしっかりと考え、悪しきことは改めていかなければならない
と思う。
                                    (つづく)

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