子どもたちのことを真剣に考えましょう。

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モンテッソーリ教育

かつて私は現場にいたときにこのモンテッソーリ教育もどきを試したことがある。

もちろんテストに追われている中学生にはできなかったのだが、ある小学校3年生が来たことがある。

親御さんから話を聞くと九九が覚えられずまったく算数がダメだという。

 

当初は九九を私のあとに反復させたり、九九下敷きを買ってきて、それを読ませたり、いわゆるオー

ソドックスなことに明け暮れた。

しかし、一向に効果が表れず行き詰っていた。

その時にこのモンテッソーリを思い出した。

と言っても、その教育そのものではなく、どうやったら集中力を持たせることができるかを考えた。

もちろんその教育用に教材などない。

最初は、3×7=□のような問題をたくさん作り、下敷きを見ながら、□の中に答えを書き込ませた。

それができるようになると今度は下敷きを見ずに答えを入れさせてみた。

しかし、まったく下敷きを見ないと答えは入れられなかった。

次に、□×□=28のような問題を作り、下敷きを見ながら答えを記入させた。

それを続けていくと、例えば、□×□=24という問題にあたると、その生徒は首を傾げ始めた。

なぜ首をかしげているかと問うてみると、「どっちを書くの?」とその生徒は私に聞いた。

やっと考え始めたのである。

「あるだけ全部」と私が言うと、その生徒は3×8と4×6と書いた。

「まだ、6×4と8×3があるぞ」と私が言うと、「そうか」と言って目を輝かせた。

そこから一気にその生徒は九九を覚えてしまった。

その後一か月、その生徒は□×□×□=128などと言う問題も解けるようになっていた。

 

その生徒はいわゆる遊び感覚で才能が覚醒した。

数字に興味をそこから覚え、一挙に算数は得意中の得意になった。

結果的にその生徒は東京工業大学に進学したのだが、最初は九九もできない生徒だった。

もちろんその後のその子の努力が第一で、私は何をしたというわけではないが、その時に九九を克服

できなかったら、算数・数学は特にならなかったのかもしれない。

まったくお題のモンテッソーリとは違うのだが、興味→集中力→好結果という正の連鎖は子供の可能

性を引き出すものなのである。

 

藤井聡太四段が今後どういう棋士人生を送るのかは誰にもわからない。

しかし、幼少期に彼が学んだこの教育でその後の人生が開けたことは確かなことだと思う。

教育というのは常にそうあるべきであると私は思っている。

ゆえに私の同業者の方々も、今回の藤井聡太四段から学んでほしいものである。

| とよ爺 | 教育思想 | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
モンテッソーリ教育

モンテッソーリ「子供の家」の教室に入ると、整然と並ぶ色とりどりの「教具」と呼ばれる木製玩具が目に飛び込んでくる。これらはモンテッソーリの感覚教育法に基づく教材で、モンテッソーリとその助手たちが開発した。モンテッソーリ教育法では教具の形、大きさは無論、手触り、重さ、材質にまでこだわり、子供たちの繊細な五感をやわらかく刺激するよう配慮がなされている。また、教具を通し、暗記でなく経験に基づいて質量や数量の感覚を養うことと、同時に教具を通して感じ取れる形容詞などの言語教育も組み込まれている。(ウキペディアより)

一部のマスコミで報道されているように、この教育ではユニークな教材が使われる。

その目的は、私が勝手にそう思っているのだが、子供たちが集中力をもって取り組めることができると

いうことが一義であり、知識を詰め込むという内容のものではない。

そういうこともあり。この教育は幼少期から可能であり、親御さんの考え方で早くから始めることもで

きる。

しかし、いわゆる知識教育と違って、テストのような効果がはっきりでてくるものはあまりなく、もち

ろん個人差もあるので、短い期間で大きな効果を望むのはやはり難しいのではないかと思う。

正直、私たち学習塾でも、短期間ではテストの対応するスキルは何とか身につけさせても、それが学力

の向上とはっきりと言えるかと言えば私に言わせればそれは否である。

「学問に王道なし」と昔から言われているが、自らが粘り強く試行する姿勢は短期間ではなかなかでき

ない。これはこのモンテッソーリ教育でも同じで、何らかの目的意識を持たなければ育たない。

この教育は私に言わせれば、子供たちの興味から始まり、それにより何らかの目的意識を持たせ、その

結果から、集中力を生ませるという道筋がはっきりと見える。

元来はどの教育でも共通するものではあるのだが、なかなかそういうことが今の教育現場からは見いだ

せない。

一時「生きる力」を育ませるという言葉が、学校教育の中で氾濫していたが、そのブームは去り、あれ

は何だったのかという人たちも多い。

しかし、教育の本質を言うのなら、それは真理なのだと思う。

 

上の文章に書いてあるよう、「暗記ではなく、経験に基づいて質量や数量の感覚を養う」ということが

必要な世の中になってきていると感じることが多い。

知識だけでなく、経験で動ける人間を増やす必要がある。

例えば、現在、国会議員の不適切な行動や発言が毎日のように取り上げられているが、経験則があるの

なら、そういう間違いは起こさないだろうと思えることがたくさんある。

やはり私もギリギリその世代なのだが、戦後教育で間違っていた部分はあったのではないかと思う。

ゆえに何度も言うのだが、教育は革新的な部分を必要とするのである。

 

もうひとつこの教育がすぐれているのは感覚を重視するということである。

感覚は芸術的な感性であるという人もいるが、私に言わせればそれは間違っている。

藤井聡太君のいる将棋界は芸術界ではないし、世のすべての仕事に感覚は必要なものではないかと私は

思う。

むしろあらゆる事業で成功する人たちは、やはりそれなりの鋭利な感覚を持っている。

知識が感性に勝るということは多々あることなのだが、逆も多々あることなのである。

この教育は私たちにそういう価値観を教えてくれる。

ゆえに立派な教育理論なのである。

| とよ爺 | 教育思想 | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
モンテッソーリ教育

1907年、ローマに最初に誕生した「子供の家(Casa dei bambini)」は、瞬く間に欧米を中心に世界各国に広がった。特にアメリカ合衆国では2度にわたってモンテッソーリ・ブームが起こり、アメリカ全土にその教育法が普及した。現在、アメリカの私立をはじめ数百の公立学校でもプログラムが導入され、3000ヶ所のモンテッソーリ・子供の家があるといわれる。日本には1960年代に紹介され、モンテッソーリ・プログラムを導入する幼稚園やモンテッソーリ教育を専門に行う「子供の家」が創設された。(ウキペディアより)

実は私の住む街にも、「モンテッソーリ教育子供の家」は存在する。

勉強不足で実際にどういう教育が行われているのかはわからない。

しかし、おそらくいろいろな玩具や道具を使って、集中力を高めるような教育をしていると思う。

 

前稿でも書いたようにどうもいわゆる教育端の人というのはもちろん人によりけりなのだが、偏っ

た固定観念を持っている人が多い。

私は職業柄、多くの教諭の方々とお付き合いをさせていただいてきたが、多くの方がいわゆる教育

学部出身で、そうでなくても各大学で教職課程を取っているので、考え方に共通点が多い。

もちろん実戦的な部分ではなく、基礎になるものを教えるのが大学なのでそれもやむを得ないと思

うのだが、教育である限り固定観念を捨て去ることも必要なことだと思う。

目の前に生身の子供たちがいて、それに相対していかなければならない環境下で、そんな理屈など

全く役に立たない場合もあるのだと思う。

それを自分が受けてきた教育の中だけで処理し、事象を結論付けようとするとそれなりの無理があ

るのであって、そのことが子供たちの可能性を切り取ってしまう場合もあるのではないかと思う。

 

これは私たち塾屋も同じで、保護者の期待もあるのでやはり学校プログラムに沿う宿命にはあるの

だが、何も疑問を感じずに職務を実行していくことが良いとは思えない。

今回、モンテッソーリ教育がクローズアップされて、それを学ぶということは非常に良いことだと

私は思う。

そもそもこれは精神病の子供たちに可能性を見出し、その子供たちにとって最良と信じてできるこ

とを実行し、大きな成果を上げたという実例である。

人によってはそれは教育ではなく、治療だという人もいるだろう。残念ながら、我が国の教育者は

そう結論付ける人達が多いのではないかと思う。

しかし、私は間違っていると思うのである。子供たちには無限の可能性がある。こういう教育者の

方々も認めるだろうが、その子供たちは十人十色である。ゆえにそれぞれに適合する教育が存在す

るのではないかと思う。

日本の公教育はもっともっと柔軟であるべきだと思うのである。

 

上の文章のようにアメリカでは公立学校でも取り上げられている。

アメリカの教育がもちろん最上のものだとは言えないのだが、こういう姿勢があっても良いのでは

ないだろうか?

教育とはそもそも保守的なものではない。

むしろ革新的であるべきだと思う。いや革新的な部分を持たなければならないと私は思う。

そういう意味で今回、この教育に藤井聡太君のおかげで取り上げているのは良いことだと思う。

| とよ爺 | 教育思想 | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
モンテッソーリ教育

この記事ではモンテッソーリ教育の創始者マリア・モンテッソーリについて書いていこうと思う。

マリアはマルケ州キアラヴァッレというところで生まれる。

19世紀、初めて女性としてローマ大学医学部に入学した。

その当時は女性差別がある時代で、男子学生と同室での系統解剖は許されず、別室で一人死体に

向かい合い実習をしたという。

多くの差別の中でマリアは1896年にイタリア初の女性医学博士号を取得する。

しかし、卒業しても差別は続き、なかなか医学界に受け入れてもらえなかった。結果、医学とは

かけ離れていたローマ大学付属の精神病院でやっと職を得たという。(ウキペディアより)

 

驚いたことにマリアは最初は教育者ではなく、医師を志していた。

なおかつイタリアで女性初の医学博士を取得した超エリートである。

しかし、当時のイタリアは差別的で女性を受け入れる場所がなかったようである。

そういう状況下の中で何が原因で教育を志したか、非常に興味深い。

 

その経緯もウキペディアに書いてあるのでそのまま抜粋しよう。

当時の精神病院の患者たちは鉄格子に囲まれた暗い部屋に監禁され、治療らしい治療が行われない劣悪な環境下にあった。医師として絶望的と言えるこの職場で、マリアは知的障害があるとされる幼児が床に落ちたパン屑でしきりに遊ぶ姿に目を留めた。それ以降、幼児の様子を注意深く観察するうちに、何ら知的な進歩はないと見放されていた彼らが感覚的な刺激を求めることを認め、指先を動かすような玩具を次々と与え、彼らの治療を試みた。その中で彼女は、感覚を刺激することによって、知的障害児であっても知能の向上が見られるという確信を得て、他の障害児たちにも同様の教育を施した。マリアが彼らに知能テストを受けさせると、彼らの知能が当時の健常児たちの知能を上回るという結果が得られ、イタリア教育界、医学界に衝撃を与えることとなった。

ある意味、マリアが思いついたこの教育は人の本質をついているのではないかと思う。

こういう子供たちには何の打算もなく、ただただ自分の本能に赴くままに行動する。

その行動を制覇してしまえば、逆にどんな教育でもできるはずである。

加えてこんな状況から考えられた教育は存在しない。

そう精神医師のマリアでなければ、発想することができなかった非常にユニークで理にかなった

勉強法なのである。

 

これが原点になり、「子どもの家」が生まれる。

その「子どもの家」とはどういうものだったのか、次の記事で書いてみることにする。

| とよ爺 | 教育思想 | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
モンテッソーリ教育

将棋界で快進撃を続けている藤井四段の教育法が脚光を浴びている。

その中で「モンテッソリー教育」という言葉が氾濫している。

おそらく塾屋なら、だれでも知っているものなのだろうが、詳しく知っている者はそう

多くはない。

私も昔、自塾の教育の中に入れられないかどうか悩んだことがある。

テレビで特集されているように自主性を重んじるやり方で、見方によれば、塾はすべき

ことを何もやっていないと捉えられてしまうのでその時は及び腰となった。

しかし、集中力をつけるという目的のもと、行われるこの教育法は非常に有効なもので

こうやって脚光を浴びるというのはとても良いことだと私は思っている。

 

では、一体どういうものなのか?

何稿かに分けて、特集していきたいと思う。

 

ウキペディアの冒頭には次のような説明がある。

20世紀初頭にマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。

イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは知的障害児へ感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立した貧困層の健常児を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な教育法を完成させた。以後、モンテッソーリ教育を実施する施設は「子どもの家」と呼ばれるようになる。

シュタイナー教育と共に、既存の教育に不信感を持つニューエイジャーの支持を集めた。

ここに出てくる「子どもの家」は教育の世界では非常に有名なものである。

ここに出ているシュタイナー教育は非常にメジャーでこれを取り入れた学校や塾はたくさ

んあるのだが、あくまで私の印象なのだが、モンテッソーリはあまり知られていないとい

う印象が多い。

しかし、教育思想としては比較的新しいもので、現代っ子に応用できる側面が数多くある

と私は思っている。

特に日本の教育実態から考えると非常に有効な部分があると私は思う。

 

ここで藤井聡太四段に戻るが、驚くべきはその集中力である。

対局時の集中力もさることながら、自宅等での将棋の研究においても、その集中力はきっ

と驚くべきものがあると私は思っている。

その幾分かはこのモンテッソーリ教育の結果ではないかと私は思っている。

| とよ爺 | 教育思想 | 10:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
撫育草
江戸時代、庶民に多くの支持を得た「撫育草」という子育て本がある。
日本の誇るべきことなのだが、こういう子育て本が日本には数多くある。
私たち現代人にも学ぶべきものがたくさんある。

作者は脇坂義堂という御仁。
実は私もある本(小泉吉永著『「江戸の子育て」読本』)で知ったのだが、
非常に興味深いことが書いてある。
義堂によれば、子供の善行をよく誉めれば、幼心にも嬉しく、「また誉められたい」
と思って自然と善事を好むようになるが、逆に、悪事に対して折檻ばかりしていると、
子供は決して親に心服せず、ただ折檻を恐れて悪事を隠すようになり、この隠す習慣が
大悪につながると言っている。
この本が面白いのが、このほかに次のような場合は遠慮なく怒れと書いてあるところである。

その項目は何と十三項目、私にはなるほどと思えることがたくさんある。
1. 嘘偽りを言い、父母にものを隠す。
2. 父母に呼ばれた際に、返事をしないで、または口答えをする。
3. 祖父、祖母をはじめ年長者を軽視侮る。
4. わがままを言い、短気や癇癪を起こす。
5. 分不相応の良い物を好み、欲しがる。
6. 召し使う者に情をかけず、無理多わがままを言う。
7. 虫けらをむやみに殺し、喧嘩・口論を好む。
8. 何事も自分の考えを押し通そうとする。
9. 人を侮り、自分を賢いと勘違いして、あれこれ自慢する。
10.男女の行儀を知らず、大口を言う。
11.家職を教えても、性根を入れて勤めない。
12.手習い、読み物、算術の稽古を怠る。
13.火遊びをして、火の元を粗末にする。

以上、十三項目なのだが、現代っ子たちはこういうことを守っているだろうか?
もちろん時代は変わっているので、現代には合わないということもあるだろう。
しかし、読んでみるとわかると思うが、これは結構現代にも当てはまる。
今は大きくなってしまったが、わが子に関しても守られていないこともある。
2にある呼んでも返事をしないことなどかなりあったような気がする。
こういう時に私が強く怒ったといえば、結構適当だった。
自分の虫の居所が悪いと、「しっかり返事くらいしろ!」と怒ったものだが、
そうでないときは面倒くさがって、放置したような気もする。

「この親にして、この子あり」
子育てに関しての悔いはいくつになっても残るものである。
と言って、もう一度やれと言われれば、「もう結構」と答えるだろう。
私は本当にものぐさな人間なのである。
| とよ爺 | 教育思想 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育の見直し
子供の権利 甘やかさない教育必要だ
2014.1.26 03:06 産経新聞

 また高知県では、条例の審議過程で「休む・遊ぶ」権利が批判を浴び、削除された。子供に媚(こ)びる前に、教えるべきことを教えなければならない。

 最近も、いじめや児童虐待などが相次ぐ中で、子供のための条例を検討する自治体がある。

 長野県で検討されている条例の骨子案では、保護者が教育に責任を持つことや、子供に規範意識を身につけさせることが盛り込まれ、過度に子供の権利を強調しない内容にはなっている。

 しかし、その趣旨は条例名にあるように、子供の「支援」を内容としており、誤解を懸念する専門家もいる。子供の顔色をみるばかりで、厳しい指導ができないというようでは困る。慎重に検討してもらいたい。

 滋賀県で開かれている日教組の教研集会では、委員長あいさつで「子供の権利としての教育ではなく、国家の意思としての教育が前面に出ようとしている」などと言及された。規律や公共心育成などを重視した安倍晋三政権の教育再生の取り組みを暗に批判したものとみられる。

 しかし、わがままを正せない親や教師の教育こそ見直してもらいたい。だめなことはだめとしっかり教えたい。
この産経新聞の記事にあることは、まさに日本の教育の欠点である。
権利というのはここが主張をすると、ぶつかる場合が多い。
ゆえにどちらの権利主張が有効化という尺度を持たなければならないだろう。
権利論議の歴史のないわが国にとって、それは非常に難しい判断となる。

子供の権利に対しては、教育という大前提があり、これを踏まえたうえでの権利で
なければならないと私は思う。
日本の権利はそういうところが曖昧でただ主張しているだけのように
私には見えてしまう場合もある。
ゆえにやはり道徳や教育を優先することを前提に権利を認めて欲しいと思う。

また、大人もいけない部分がある。
権利というのを自分たち有利なように使うことだけを考え、相手にも権利があるのだが、
それを認めない人が多い。
こういうことは権利ではなく、わがままと私たちは教わってきた。
権利=わがままでは、日本の文明度が低いと言うことを証明するだけである。

最近の学校や子供たちを見てみると、何だかどんどんおかしくなってきているように思う。
もちろんいけないのは大人たちなのだが、それを自覚している人はどれほどいるのだろうか?
                                    (終わり)

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教育の見直し
子供の権利 甘やかさない教育必要だ
2014.1.26 03:06 産経新聞

 「子供の権利」を誤解した条例づくりが依然として後を絶たない。

 長野県が「子ども支援条例(仮称)」の制定作業を進めているが、甘えやわがままを助長する内容にしてはならない。

 子供の権利が強調されるようになったのは、20年前の平成6年に、日本が国連の「児童の権利条約」を批准したことがきっかけだ。12年に川崎市が「子どもの権利に関する条例」を制定するなど、各地の自治体で同種の条例がつくられた。

 国連条約の本来の目的は、子供を飢えや病気、虐待などから保護することだ。しかし、自治体の条例では、子供の「意見表明権」といったものまで加わり、権利をはき違えたわがままを許す風潮が問題になってきた。

 例えば親が子供部屋に入ると、「プライバシー侵害」だと子供が文句を言う。国連の委員会の場で日本の高校生が、制服を義務づける校則に反対して「意見表明権」を持ち出し、海外の委員から「制服もない国の子に比べ幸せ」などとたしなめられた例もある。
昨日の産経新聞に非常に興味深い内容の記事が掲載された。
私も常々同じような考え方があり、このブログでも数多くの記事を書いた。
日本の「権利」は少々行き過ぎてしまっているように見える。
この権利故にしっかりとした教育ができないという現実が今の学校には蔓延っている。
学校ばかり責めるのはどうも行き過ぎのような感じもする。

もともと日本人は、「義務」には実直な国民で、「権利」は結構苦手だった。
「権利」を重視する欧米の考え方は風土が違う日本にとって、大きな矛盾を
生み出してしまう。
例えば、一人の「権利」を重視するゆえ、他人の「権利」を侵害してしまう場合もある。
子供の「権利」もあるのだが、同時に教員の「権利」も親の「権利」もあるのである。
日本はそういう物に対してすみわけがしっかりできない国なのである。
要するに「権利」に関しては、歴史を持っていないのである。

最後の国連の委員会の話など良い例である。
日本の勝手な「権利」の乱用は、「権利」の歴史を刻んできた国にとっては
単なる横暴、屁理屈に映ってしまう場合もある。
あくまで教育の現場に子供の権利を持ち込むと思わぬ事態を招いてしまう。
ここにあるよう甘やかすのは良くないのである。
子供の世界では、「道徳(モラル)」と「権利」が対立してしまう例が多い。
どちらを優先すべきかをしっかりと根付かせなければ日本は無法地帯になってしまう。
                                    (つづく)

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当然、こういう議論は出てくるだろう

6・3・3・4制見直しも…首相直属会議発足へ
読売新聞 1月6日(日)13時5分配信

 政府は5日、安倍首相直属の「教育再生実行本部(仮称)」を今月中旬にも設置する方針を固めた。
 
 第1次安倍内閣当時の2006年10月に設置した「教育再生会議」を事実上復活させるもので、「6・3・3・4制」を見直す学制改革などを議論し、今後の法改正につなげる考えだ。
 
 本部は、首相と菅官房長官、下村文部科学相に加え、大学教授や企業経営者など各界の有識者十数人で構成する。本部では学制改革のほか、〈1〉教育委員会制度の見直し〈2〉大学入試の仕組みの見直し〈3〉いじめ問題への対応強化――など自民党が衆院選政権公約で掲げた項目について、法改正も含む提言をまとめる。
 
 第1次安倍内閣で設置された教育再生会議は議長を務めた首相と官房長官、文科相、有識者の計20人で構成した。「ゆとり教育」の見直しなどを求めた同会議の報告書に沿って、安倍政権は教員免許の更新制や小中高校に副校長を設置することなどを柱とした改正教育3法を成立させた。

子どもたちの学力低下の現実を前にすると、当然こういう議論が出てきて当たり前だと思う。
単なる学制ばかりではなく、もっといろいろな議論をして欲しいものである。
かつてはこの学制においても、大きな成果を上げていた国である。
学制を変えれば、良くなるとはまったく思えない。

大学入試の仕組みはいちばん早く取り組まなければならないことである。
もっと子どもたちを勉強が必要な環境に追い込まないと大変なことになる。
こんな甘い教育システムの中で、真剣に勉強する子などいたものではない。
もっとそういう意味で、学制を変えることも考えた方がよい。

とにかくこういう議論がされるのは大変良いことだと私は思う。
この国の再生はやはり教育からではないかと思う。
目先の経済も大事だが、バランス感覚を持って、教育を見直すことも大事である。
おそらく国民全員がそう思っているのではないだろうか?

問題はどういう議論が行われるかである。
注意深く見ていこうと思う。

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教育の役割
戸田忠雄さんの著書「教えるな!」(NHK出版新書)に3つの教育の役割が上げてある。
その3つが今の教育現場でしっかりと養われているかと言えば、それは甚だ疑問である。
私たちは原点に立ち戻り、今まさに教育を考える必要があるのではないかと思う。

戸田さんの言う教育の役割とは次の3つである。
|亮韻箋伺修療礎と思考力の啓発
∪鎖静自立の手助け
社会に出て働くための準備
私たちの業界は特に,貌嘆修靴董∋劼匹發燭舛棒椶靴討い襪里任△襦

では学校かと言えば、むしろ↓の方が大事ではないかと思う。
特に親が教えても難しいの社会のひとつとして、学校があるのではないかと思う。
ゆえに学校でしかできないことが実はたくさんあるのではないかと思う。

よく私たちの業界に△鯔召狄佑いるのだが、私はそれは間違っていると思う。
学習面においての自立は塾で植え付けることができるのかも知れないが、
その他の自立は家庭や学校で教えていくべきものである。
そういう意味で今の学校は,魑い砲靴垢ているように私には感じるのだが、
皆さんはどうお考えになっているのだろうか?

私が通学していた頃には、明らかに↓の教育が学校にはあった。
特ににおいての社会の厳しさは、多くのことを学校で教えられたような気がする。
そのときの学校の先生たちの当事者能力は大したもので、話す言葉に必ず何かの結論が含まれていた。
親たちも学校の先生たちへの信頼もあり、子どもはその中でスクスク育っていった。

しかし、今はどうだろう?
多くの局面で学校と家庭が反駁し合う関係が存在している。
この関係は非常に微妙な関係で、なかなか第三者は入りきれていない。
今の教育委員会を存続させていくのなら、その間に入るべき組織で、
大津のいじめ事件などを見ていると、そのバランスがまったくと言っていいほど、
保たれていないような感じがする。
あまりに不均衡ゆえ、お互いの溝がどんどん深まっていっているように見える。
要するに教育委員会は第三者になりきらなければならないのである。

ところがどうだろう。
構成されているメンバーのほとんどが教員たちである。
ひどいことに教育委員会を経験することが、彼らの出世の道筋になっているようなところもあり、
本来の立場を忘れてしまっている。

教育の役割はしっかりと当事者たちは理解しておくべきである。
それを忘れた教育者が蔓延る日本の教育界に未来の姿はイメージできない。

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