子どもたちのことを真剣に考えましょう。

撫育草
江戸時代、庶民に多くの支持を得た「撫育草」という子育て本がある。
日本の誇るべきことなのだが、こういう子育て本が日本には数多くある。
私たち現代人にも学ぶべきものがたくさんある。

作者は脇坂義堂という御仁。
実は私もある本(小泉吉永著『「江戸の子育て」読本』)で知ったのだが、
非常に興味深いことが書いてある。
義堂によれば、子供の善行をよく誉めれば、幼心にも嬉しく、「また誉められたい」
と思って自然と善事を好むようになるが、逆に、悪事に対して折檻ばかりしていると、
子供は決して親に心服せず、ただ折檻を恐れて悪事を隠すようになり、この隠す習慣が
大悪につながると言っている。
この本が面白いのが、このほかに次のような場合は遠慮なく怒れと書いてあるところである。

その項目は何と十三項目、私にはなるほどと思えることがたくさんある。
1. 嘘偽りを言い、父母にものを隠す。
2. 父母に呼ばれた際に、返事をしないで、または口答えをする。
3. 祖父、祖母をはじめ年長者を軽視侮る。
4. わがままを言い、短気や癇癪を起こす。
5. 分不相応の良い物を好み、欲しがる。
6. 召し使う者に情をかけず、無理多わがままを言う。
7. 虫けらをむやみに殺し、喧嘩・口論を好む。
8. 何事も自分の考えを押し通そうとする。
9. 人を侮り、自分を賢いと勘違いして、あれこれ自慢する。
10.男女の行儀を知らず、大口を言う。
11.家職を教えても、性根を入れて勤めない。
12.手習い、読み物、算術の稽古を怠る。
13.火遊びをして、火の元を粗末にする。

以上、十三項目なのだが、現代っ子たちはこういうことを守っているだろうか?
もちろん時代は変わっているので、現代には合わないということもあるだろう。
しかし、読んでみるとわかると思うが、これは結構現代にも当てはまる。
今は大きくなってしまったが、わが子に関しても守られていないこともある。
2にある呼んでも返事をしないことなどかなりあったような気がする。
こういう時に私が強く怒ったといえば、結構適当だった。
自分の虫の居所が悪いと、「しっかり返事くらいしろ!」と怒ったものだが、
そうでないときは面倒くさがって、放置したような気もする。

「この親にして、この子あり」
子育てに関しての悔いはいくつになっても残るものである。
と言って、もう一度やれと言われれば、「もう結構」と答えるだろう。
私は本当にものぐさな人間なのである。
| とよ爺 | 教育思想 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育の見直し
子供の権利 甘やかさない教育必要だ
2014.1.26 03:06 産経新聞

 また高知県では、条例の審議過程で「休む・遊ぶ」権利が批判を浴び、削除された。子供に媚(こ)びる前に、教えるべきことを教えなければならない。

 最近も、いじめや児童虐待などが相次ぐ中で、子供のための条例を検討する自治体がある。

 長野県で検討されている条例の骨子案では、保護者が教育に責任を持つことや、子供に規範意識を身につけさせることが盛り込まれ、過度に子供の権利を強調しない内容にはなっている。

 しかし、その趣旨は条例名にあるように、子供の「支援」を内容としており、誤解を懸念する専門家もいる。子供の顔色をみるばかりで、厳しい指導ができないというようでは困る。慎重に検討してもらいたい。

 滋賀県で開かれている日教組の教研集会では、委員長あいさつで「子供の権利としての教育ではなく、国家の意思としての教育が前面に出ようとしている」などと言及された。規律や公共心育成などを重視した安倍晋三政権の教育再生の取り組みを暗に批判したものとみられる。

 しかし、わがままを正せない親や教師の教育こそ見直してもらいたい。だめなことはだめとしっかり教えたい。
この産経新聞の記事にあることは、まさに日本の教育の欠点である。
権利というのはここが主張をすると、ぶつかる場合が多い。
ゆえにどちらの権利主張が有効化という尺度を持たなければならないだろう。
権利論議の歴史のないわが国にとって、それは非常に難しい判断となる。

子供の権利に対しては、教育という大前提があり、これを踏まえたうえでの権利で
なければならないと私は思う。
日本の権利はそういうところが曖昧でただ主張しているだけのように
私には見えてしまう場合もある。
ゆえにやはり道徳や教育を優先することを前提に権利を認めて欲しいと思う。

また、大人もいけない部分がある。
権利というのを自分たち有利なように使うことだけを考え、相手にも権利があるのだが、
それを認めない人が多い。
こういうことは権利ではなく、わがままと私たちは教わってきた。
権利=わがままでは、日本の文明度が低いと言うことを証明するだけである。

最近の学校や子供たちを見てみると、何だかどんどんおかしくなってきているように思う。
もちろんいけないのは大人たちなのだが、それを自覚している人はどれほどいるのだろうか?
                                    (終わり)

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教育の見直し
子供の権利 甘やかさない教育必要だ
2014.1.26 03:06 産経新聞

 「子供の権利」を誤解した条例づくりが依然として後を絶たない。

 長野県が「子ども支援条例(仮称)」の制定作業を進めているが、甘えやわがままを助長する内容にしてはならない。

 子供の権利が強調されるようになったのは、20年前の平成6年に、日本が国連の「児童の権利条約」を批准したことがきっかけだ。12年に川崎市が「子どもの権利に関する条例」を制定するなど、各地の自治体で同種の条例がつくられた。

 国連条約の本来の目的は、子供を飢えや病気、虐待などから保護することだ。しかし、自治体の条例では、子供の「意見表明権」といったものまで加わり、権利をはき違えたわがままを許す風潮が問題になってきた。

 例えば親が子供部屋に入ると、「プライバシー侵害」だと子供が文句を言う。国連の委員会の場で日本の高校生が、制服を義務づける校則に反対して「意見表明権」を持ち出し、海外の委員から「制服もない国の子に比べ幸せ」などとたしなめられた例もある。
昨日の産経新聞に非常に興味深い内容の記事が掲載された。
私も常々同じような考え方があり、このブログでも数多くの記事を書いた。
日本の「権利」は少々行き過ぎてしまっているように見える。
この権利故にしっかりとした教育ができないという現実が今の学校には蔓延っている。
学校ばかり責めるのはどうも行き過ぎのような感じもする。

もともと日本人は、「義務」には実直な国民で、「権利」は結構苦手だった。
「権利」を重視する欧米の考え方は風土が違う日本にとって、大きな矛盾を
生み出してしまう。
例えば、一人の「権利」を重視するゆえ、他人の「権利」を侵害してしまう場合もある。
子供の「権利」もあるのだが、同時に教員の「権利」も親の「権利」もあるのである。
日本はそういう物に対してすみわけがしっかりできない国なのである。
要するに「権利」に関しては、歴史を持っていないのである。

最後の国連の委員会の話など良い例である。
日本の勝手な「権利」の乱用は、「権利」の歴史を刻んできた国にとっては
単なる横暴、屁理屈に映ってしまう場合もある。
あくまで教育の現場に子供の権利を持ち込むと思わぬ事態を招いてしまう。
ここにあるよう甘やかすのは良くないのである。
子供の世界では、「道徳(モラル)」と「権利」が対立してしまう例が多い。
どちらを優先すべきかをしっかりと根付かせなければ日本は無法地帯になってしまう。
                                    (つづく)

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当然、こういう議論は出てくるだろう

6・3・3・4制見直しも…首相直属会議発足へ
読売新聞 1月6日(日)13時5分配信

 政府は5日、安倍首相直属の「教育再生実行本部(仮称)」を今月中旬にも設置する方針を固めた。
 
 第1次安倍内閣当時の2006年10月に設置した「教育再生会議」を事実上復活させるもので、「6・3・3・4制」を見直す学制改革などを議論し、今後の法改正につなげる考えだ。
 
 本部は、首相と菅官房長官、下村文部科学相に加え、大学教授や企業経営者など各界の有識者十数人で構成する。本部では学制改革のほか、〈1〉教育委員会制度の見直し〈2〉大学入試の仕組みの見直し〈3〉いじめ問題への対応強化――など自民党が衆院選政権公約で掲げた項目について、法改正も含む提言をまとめる。
 
 第1次安倍内閣で設置された教育再生会議は議長を務めた首相と官房長官、文科相、有識者の計20人で構成した。「ゆとり教育」の見直しなどを求めた同会議の報告書に沿って、安倍政権は教員免許の更新制や小中高校に副校長を設置することなどを柱とした改正教育3法を成立させた。

子どもたちの学力低下の現実を前にすると、当然こういう議論が出てきて当たり前だと思う。
単なる学制ばかりではなく、もっといろいろな議論をして欲しいものである。
かつてはこの学制においても、大きな成果を上げていた国である。
学制を変えれば、良くなるとはまったく思えない。

大学入試の仕組みはいちばん早く取り組まなければならないことである。
もっと子どもたちを勉強が必要な環境に追い込まないと大変なことになる。
こんな甘い教育システムの中で、真剣に勉強する子などいたものではない。
もっとそういう意味で、学制を変えることも考えた方がよい。

とにかくこういう議論がされるのは大変良いことだと私は思う。
この国の再生はやはり教育からではないかと思う。
目先の経済も大事だが、バランス感覚を持って、教育を見直すことも大事である。
おそらく国民全員がそう思っているのではないだろうか?

問題はどういう議論が行われるかである。
注意深く見ていこうと思う。

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| とよ爺 | 教育思想 | 00:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
教育の役割
戸田忠雄さんの著書「教えるな!」(NHK出版新書)に3つの教育の役割が上げてある。
その3つが今の教育現場でしっかりと養われているかと言えば、それは甚だ疑問である。
私たちは原点に立ち戻り、今まさに教育を考える必要があるのではないかと思う。

戸田さんの言う教育の役割とは次の3つである。
|亮韻箋伺修療礎と思考力の啓発
∪鎖静自立の手助け
社会に出て働くための準備
私たちの業界は特に,貌嘆修靴董∋劼匹發燭舛棒椶靴討い襪里任△襦

では学校かと言えば、むしろ↓の方が大事ではないかと思う。
特に親が教えても難しいの社会のひとつとして、学校があるのではないかと思う。
ゆえに学校でしかできないことが実はたくさんあるのではないかと思う。

よく私たちの業界に△鯔召狄佑いるのだが、私はそれは間違っていると思う。
学習面においての自立は塾で植え付けることができるのかも知れないが、
その他の自立は家庭や学校で教えていくべきものである。
そういう意味で今の学校は,魑い砲靴垢ているように私には感じるのだが、
皆さんはどうお考えになっているのだろうか?

私が通学していた頃には、明らかに↓の教育が学校にはあった。
特ににおいての社会の厳しさは、多くのことを学校で教えられたような気がする。
そのときの学校の先生たちの当事者能力は大したもので、話す言葉に必ず何かの結論が含まれていた。
親たちも学校の先生たちへの信頼もあり、子どもはその中でスクスク育っていった。

しかし、今はどうだろう?
多くの局面で学校と家庭が反駁し合う関係が存在している。
この関係は非常に微妙な関係で、なかなか第三者は入りきれていない。
今の教育委員会を存続させていくのなら、その間に入るべき組織で、
大津のいじめ事件などを見ていると、そのバランスがまったくと言っていいほど、
保たれていないような感じがする。
あまりに不均衡ゆえ、お互いの溝がどんどん深まっていっているように見える。
要するに教育委員会は第三者になりきらなければならないのである。

ところがどうだろう。
構成されているメンバーのほとんどが教員たちである。
ひどいことに教育委員会を経験することが、彼らの出世の道筋になっているようなところもあり、
本来の立場を忘れてしまっている。

教育の役割はしっかりと当事者たちは理解しておくべきである。
それを忘れた教育者が蔓延る日本の教育界に未来の姿はイメージできない。

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| とよ爺 | 教育思想 | 02:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
普通教育
「普通教育」、今現在、それこそ普通に使っている言葉である。
高校などは、普通科などと言う類別もあり、何となく私たちは理解しているのだと思う。
要するに「普通教育」とは、「普通の教育」だと思いこんでいるのである。

かつて私は教育の歴史という記事を連載していた。
もちろん記事にしたのだから、私なりにその勉強はした。
勉強してみると、昔の人は「普通教育」をどのように捉えてわかる。

私が感じたのは、昔の人の思っている「普通教育」とは、専門教育なのである。
職業に関係したいわゆる訓練という傾向のものではなく、学問として取り上げて、
それを研究していくのが「普通教育」なのだ。
いわゆる基礎の基礎、例えば、読み・書き・そろばんというのは普通教育ではなく、
職業教育でも、必ずやらなければならない普通教育の前の基礎教育なのである。

今、みなが知っているように、高校から、普通科という類別ができる。
小中学で基礎をしっかり学んで、高校から専門的な勉強をするということなのである。
日本の高校以降の勉強内容が専門教育になっているかを考えてみればわかるだろう。
要するに普通科の勉強は非常に難しいので、普通科に行く学力を有しないものは
職業科に行くというのが常だったのである。

では、実際はどうだろう?
「普通教育」の定義をみなは間違えてはいないだろうか?
昔の学生は普通教育に進むときにはそれなりの覚悟を持って進んだのである。

今のように「普通教育」の解釈が変わってしまったのなら、日本は違う科を作るべきではなかろうか?
例えば、「〜専門科」、日本の学校形態も変わってきているので、英語教育を徹底的にやる高校だとか、
理数系を徹底的にやる高校だとかが増えてきている。
これを専門科と称して、レベルを上げていくわけにはいかないのだろうか?
もちろんそれにはいわゆる現在のトップ校と言われている高校が専門科にならなければならないが、
そういう教育改革は場合によっては必要ではないかと思う。

いちばんやるべきは、本来の「普通教育」を復活させると言うことだが、それにはまずみなの認識違いを
直さなければならないだろう。
とにかく日本の教育は方向が見出せないまま、パラドックスに迷い込んでいる。

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| とよ爺 | 教育思想 | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
知を好めども…
知を好めども学を好まざれば、其の蔽や蕩
上の言葉をご存じだろうか?
かの有名な論語の一節である。
孔子が勉強の本質を言っている言葉である。

ここの「知」というのは、「知恵」のこと、ここでは「浅知恵」を表している。
要するに雑学をさしていて、これは本当に知っていることにはならないのだが、自分では正しいと思っている
状態を指している。
「学」というのは読んで字のごとく、真摯に学ぶと言うことである。
「蔽」というのは、「弊害」に近い意味、「蕩」というのは「放蕩息子」という言葉があるように自分勝手なに
振る舞う人のことである。
要するに、「浅知恵ではなくて、しっかりと勉強して本当の知識を身につけなければ、自信過剰になる」
という教えである。
どうも私も例外ではないのだが、塾屋の中には浅知恵で満足している人もいるので
気をつけなければならない。

かの吉田松陰は11歳の時に殿様から、「弟子にしてください」と言われたほど博識な人だったが、
野山獄に幽閉されたときに1年で618冊の本を読んで勉強したという伝えがある。
やはり時代を動かす人は違うのだなと感心してしまう。

私たち塾屋も教える相手が子どもだからと言って、いつまでも自分の知識の切り売りばかりしていると
いつかは子どもたちから愛想を尽かされるのではないかと思う。
要するに常に勉強していなければならないのである。

こういう姿勢はやはり子どもたちを動かすのではないかと思う。
この業界で食べて行こうとするのなら、こういう基本的な姿勢は崩してもらいたくはないものである。

うちの塾の仲間たちも、教務部会を開いて、定期的に勉強しているが、例え学ぶものがないと思っても、
どんな状況の中からでも学ぶものを見つけることが出来るようにならなければならないのではないかと思う。

私自身ももう一度、教えると言うことも掘り下げて勉強したいと考えている。
「浅知恵」で満足しないような勉強をしたいと思っている。
やはり数年に一度はこういうオーバーホールは必要である。
次の塾のあり方を考えていく上でも、今年は学ばなければならないと思う。

※大変申し訳ありませんが、ただいま出張中です。
 コメントのレスは来月になってしまいます。申し訳ありません。

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| とよ爺 | 教育思想 | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
子どもの学習権
高等教育になると何を学習するのかはほとんどが本人の問題である。
日本の場合、この本人の持つ学習権を自由に行っているとは到底思いにくい状態である。
実はこの学習権の概念はアメリカで生まれたものである。
実はこの時期は「教育の正体」(日下公人著:KKベストセラーズ)を参考にしているのだが、
何とも興味深いないようなので、取り上げさせていただいている。

このアメリカの背景には産業革命がある。
大都市かが進み、国家統一化も進み、教えるべきことが増大し、親たちも教育熱心になり、
ついに子どもたちが悲鳴を上げ、学習権を唱えたのである。
何ともこういうことを聞くと、民主主義が根付いていると感じてしまう。

アメリカの当初の主要産業は農業と林業、それ以前は狩猟だたのだから、学校教育は必ずしも必要ではない。 
親が子どもに生きていく術を教えていたのだから、産業革命前の教育は何とも荒っぽい。

その本にはこんな例が挙げている。
牧場主が息子を跡継ぎにしようと思って、まず、乗馬の家庭教師を連れてくる。荒馬を乗りこなさなくては牧童、カウボーイたちから尊敬されないから、ビシビシやってくれと言った。「まだ足らん、まだ足らん」と言うから、家庭教師が「これ以上やったら、落馬して死んでしまいますよ」と言うと、「死んでもいい」と答える。これを突破しなければ、カウボーイからバカにされ、馬にもバカにされ、結局はまわりに荒くれ男に殺される。決闘を申し込まれて死ぬ。だからやるべき必須科目はきちんとやってくれ。その課程で死んでもかまわない。息子は何人でも産むと答えたという話がある。

日下氏はこの話を日本の親にも聞かせたいと本の中で言っている。
要するにアメリカではこういう状況を受けて、子どもたちが「子どもにも学習権がある」と言ったのである。
「自分は跡継ぎにはならない」「職業を選ぶ権利は自分にある」と言ったのである。

こうやって、子どもたちの学習権は生まれている。
こうやって得た学習権ゆえ、子どもたちも一生懸命学習したに違いない。
つまり学習の本質は親やまわりに押しつけられるものではないのである。

実はこの手の考え方はどの親御さんも分かっているように思う。
しかし、こういう考え方に則って、子育てをしている人は少ない。
実際にこの記事を書いている私も、頭では分かっていてもなかなか実戦できることではなかった。
アメリカの子どもたちのように子どもたち自身にこういうことを言わせること自体が出来ないのである。

こういう話を聞いてみると学習権という教育学的な話よりもm日常の親との関わりがいかに大事かが分かる。
いろいろな子育て本を読んでいる私でも、こういう風に子どもたちがなっていくのがゴールという
子育て本に出会ったことはない。
むしろまったく逆の親に従順な子どもを育てるにはどうしたらよいかという内容のものが多い。

しかし、世の中がこうなってしまうとこのアメリカ的な子育ても必要ではないかと思う。
ぜひぜひこういう勉強もしてみたいものである。

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| とよ爺 | 教育思想 | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育の歴史〜66
いつものように国立教育研究所の資料を用いて考えてみよう。

前回に引き続き、平成10年以降の教育について書いていこう。
実は今回の記事でこのシリーズは終わる。
今の日本の教育の課題を歴史を通して考えてもらえるのなら幸いだ。
それこそが私は大事だと思っている。

【グローバル化対応】
( 1 ) 初等中等教育
・国際的な学力調査等への参加
「キーコンピテンシーの定義と選択」プログラム(平成9〜15年)
OECD生徒の学習到達度調査(PISA)(平成12年〜)等
( 2 ) 高等教育
・大学の質保証システムに関する日米欧の協議
ユネスコ/OECD国境を越えて提供される高等教育の質保証に関するガイドライン(平成17年)、日中韓質保証機関協議会(平成22年)
・キャンパス・アジア構想(日中韓大学間交流・連携の推進)(平成22年〜)
【家計負担の軽減】
・高等学校授業料無償化・就学支援金支給制度の導入(平成22年)
・日本育英会における奨学金事業の充実
平成11年:きぼう21プラン奨学金の発足(貸与人員の大幅増(有利子奨学金)、成績基準の緩和)

最後の記事のテーマはグローバル化である。
資料を読むと、どれも立派なことが書いてあるようだが、実際にはあまり進んでいないという印象を受ける。
実際に海外留学をして、国際感覚を身につけようという若者は激減している。
要するに文科省の思惑とは逆行しているのである。

家計負担の軽減と言うことなのだが、誇らしげに書いてある高校の授業料無償化は世界では
当たり前のことである。
こんなことを大袈裟に語られても困る。
それ以上に大事なことは、奨学資金の充実である。
これも誇らしげに書いてあるが、有利子奨学金の枠が増えたところで何もならない。
物価は下降しても、大学の費用は鰻のぼりに上がり、社会に出た瞬間に大きな借金を背負わざるを
得ない状況に追いやっていて、結婚をしないなどと言っても、出来るわけもない。
結局はいろいろな要因から、少子化が進み、最後には国力が落ちきってしまう。
そうなってしまったら、日本国民に幸福は訪れない。
もっとこの国は教育を大事にしないと行けないのである。

長々66稿も教育の歴史の記事を書いてきた。
日本はかつて世界有数の教育先進国だった。
ゆえに皆にそこまで上り詰めていく課程を知ってもらいたかった。
皆がそういう視点で教育を見れば、新しい方向性がきっと見えてくるはずなのである。
私も子を持つ親である。
子どもたちには幸せになってもらいたいものである。
                                                        (終わり)

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教育の歴史〜65

いつものように国立教育研究所の資料を用いて考えてみよう。

前回に引き続き、平成10年以降の教育について書いていこう。

【事前規制から事後確認へ】
( 1 ) 初等中等教育
・全国学力・学習状況調査を開始(平成19年)
全国の小学6年生、中学3年生が対象
H19〜H21:悉皆調査、H22:抽出調査

ここで、いろいろと議論を生んだ学力テストが出てくる。
学校自体や教員たちの調査の資料として、学力テストは必要なものではないかと
私はこのブログにも、いくつかの記事を投稿した。
しかし、それに対して、全国いろいろな方からコメントをいただいた。
驚いたことに学力テストに反対する声の方が多かった。
そのひとつの要因がお金がかかる学力テストにそれなりのメリットがあるかというものだ。
特に私学などでは、学力テストを実施しない学校がかなり多かったように思う。
もうひとつがこの学力テスト自体が実際の学校現場の中から出題された問いは思えないもので、
むしろ、PISAの学力テストのためにやっているのではないというものだった。
このPISAのテストはマスコミ等でも取り上げられ、日本の子どもたちの学力は世界ではどの辺に
位置しているかを判断するもので、かつて世界第1位の教育国であった日本の凋落が問題視されていた。
それをこのテストで払拭しようとする隠れた文科省の体面を保つだけのものだという指摘だ。
どちらにしても、その実施は現場を無視して、一方的に始められたような印象があった。

( 2 ) 高等教育
・大学の設置認可に係る弾力化
量的規制の緩和(量的な抑制方針の原則撤廃)
設置認可に関する裁量主義から準則主義への転換(授与学位に変更のない学部・学科の設置は事前審査を不要とする届け出制化など)
・認証評価制度の導入(平成16年)
自発的な改善を促す自己点検・評価システム

また高等教育に関しては上記の内容が書いてあるが、具体的にこれでどう変わったのかは
分からない感じがする。
私に言わせれば、あまり方向性を感じない改革のように見える。
                                                        (つづく)

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