子どもたちのことを真剣に考えましょう。

身上相談

「とよ爺先生、お久しぶりです。ブログ再開しましたね。実はご相談したいことがあるので、

時間を作っていただくわけにはいかないですか?」

「時間は作れないこともないけど、私が聞いて、君の役に立つの? ボロボロの病人だよ」

「何をおっしゃいますか、お願いです。会ってください」

1年ぶりの電話だった。

雰囲気であまり良い内容の相談ではないと感じたのだが、断る理由もないので、時間を作り

会うことになった。

 

2日後、私の家の近くのファミレスで数か月ぶりにその友人と再会した。

満面の笑顔で私には非常に彼が元気そうに見えた。

その友人は私の同業者である。

私の街の近くの藤沢市で学習塾を経営している。

一時は地元のトップ校湘南高校に多くの生徒を進学させ、優良塾として、地元では有名だっ

た。

しかし、少子化やいろいろな流れの中、生徒数を減らしているといううわさも聞いていた。

 

話の最初は私の病気のこと、今後の私について、相談があると言っていたのだが、私ばかり

が話すことになっていた。

「ところで君の相談ていうのは何なの?」

なかなか話し始めないので、私から問いかけてみた。

案の定、私が想像していたようなことを彼は話し始めた。

 

「夏休みいっぱいで廃業しようかと思っているんです」

「そうか生徒が集まってないの?」

「一時は100人以上の生徒がいたんですけど、今はたった7人です。妻子もあるので、きっぱ

りと、廃業して、働こうかと思っているんです。

「君はいくつだったっけ?」

「39歳です」

「そうか、考えてのことだろ}

「はい、結構悩みましたが、女房の一言が決め手になりました」

 

奥さんが何を言ったのかは、容易に想像がつく。

私の女房とて、何も言わない方なのだがチクリチクリといろいろと言われたこともある。

私が体を壊してからというもの、その女房の攻勢は激しさを増し、自分の体と会社とどちら

が大事かと一時はいじめられっぱなしだった。

しかし、彼は私よりももっともっと切実である。

彼の決断に私がどうのこうのと言える立場もなかった。

 

「君が決めた決断に私が意見をはさむ余地はないよ。今後の人生は長い、頑張ってくれ!」

「ありがとうございます」

「何をやるか、もう決めてるの?」

「いえ、ただし塾だけはもう良いです。ほかのことを一からやり直します」

「君の状況はわかった、相談て何?」

「聞いてもらいたいことがあります」

彼はとくとくと話し始めた。

                                   (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 10:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜55

前稿に続く。

そう考えると人にものを教えるというのは非常に大変なことである。

むかしの教える者たちは、「先生」と呼ばれた。

昔の人は自分自身の立場を突き詰め、常に自己の行動を規制していたのだから、そう言われる

ことはあながち間違えではないと思うし、非常によく勉強をしていた。

私の知る生徒に人気のある高校の先生方は、例外なく常に勉強を欠かさない人たちだった。

「先生」と呼ばれることは、楽なことではないのである。

 

では、今の塾屋はどうだろう。

当初、生徒に教え始めたときは勉強するのだが、少々慣れてしまうと一挙に勉強をしなくなる。

勉強しない人間に、「勉強しろ!」と言われる生徒はかわいそうである。

しかしよくできたもので、最後に信頼を得るのは勉強を欠かさない者だけなのである。

ダメな講師はいつまでたっても生徒の信頼は得られず、自分のもとから去っていくし、弱いの

が理由でそれに自分の都合がいい理由をつけるので成長もしない。

今は本当にそういう塾屋が増えてきた。

そういう昨今を見ていると、この業界の終わりは近づいていると思う。

最終学歴など関係ない、大事なのは子供たちの前に立つ責任感である。

自分ができないことを子供たちに強いるのはだめなのである。

 

こういう基本姿勢さえできれば、子供たちとの会話がしっかりと成立するようになる。

加えて子供たちのかいわがしっかりと成立すれば、親御さんたちとの会話もしっかりと成立す

る。

加えてその時間を増やせば増やすほど、信頼は高まり、塾生は増える。

生徒が増えてこないのは、自分自身のレベルやスキルが低いのである。

 

経営者たちは、そういう講師を増やそうとするのなら、まずは自分自身が勉強すること。これ

は別に各自の立場というものがあるので、従業員と同じ勉強をしなくてもよい。勉強するとい

う姿勢が大事なのである。

また、経営者ならば、講師と同じような体験を積んでいるはずである。誰でも同じ道を通るこ

とになるので、その時の悩みや壁を把握していればよい。

加えて、黙っていては昨今の人たちは全くこれに気づかない。

定期的に何に取り組んでいるかを問うた方が良い。

                                      (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 15:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜54

そういうことを考えると大人の対応は難しい。

その大人にはもちろん私たち塾屋も混ざっている。

しっかりとした社会経験、社会知識の中から子供たちに言葉を発しているかを、各自が

考えなければならないと思う。

いやそれこそが私たち塾屋の社会責任だと思う。

 

前の稿の続きを書く。

では私の塾の講師たちは、そういうことをしっかりと認識して子供たちに対しているの

だろうか?

残念ながら、答えは「ノー」である。

 

私の会社の仲間たちは、社内年功が非常に広い。

上の者は若かりし私とともに同じ生徒を教えたことがあるし、下の者は教えていた時代

の私は知らない。要するに私は彼らにとって、現場を知らない者なのである。

現場を知らない者の下で働くのはつらい部分もあるし、楽な部分もある。

人間、元来は弱いものなので、どうしても楽な方に行きたがる。

生徒との会話においても、一番楽なのは自分の価値観や考えを押し付けること。教育に

とって、実はそれは一番してはいけないことである。

 

そのうち書こうと思っているのだが、昔の「塾」でもここのところの筋はしっかりと通

していた。

誰でもが知っている「松下村塾」「適塾」などでも、松陰先生や洪庵先生の持論などは

教えなかった。むしろこの二人は教えることは愛弟子に任せ、自分の背中を見て、いろ

いろなことを弟子たちに考えさせようとした。

こういう教え方をしたゆえに多くの優秀な人材が育っていったのである。二人の書物を

読めばわかるのだが、自分の持論、人生観を教えることほど、みじめなことはないので

ある。

 

私の塾の仲間たちは残念ながら、そういう者が多い。いや、今の塾全体がそうである。

「勉強しろ!」と生徒には言うのだが、自分自身は何も勉強しない。「机をきれいにし

ろ!」と言いながら、教室は汚れ放題である。「履物は揃えろ!」と言いながら、自分

の靴は脱ぎっぱなし。

いまこそ、しっかりと反省しなければならない。

                                   (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 17:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜53

私には2人の子供がいるのだが、夫婦間で話しても認識が違う場合がある。

女房が強い私の家では、常に女房の考えが優先するのだが、私もこういう職業に就いている

ので、時折、女房の認識が間違っていると感じることも少なくない。

世のほとんどの親たちは常に迷っていて、より良い回答を求めているといってよい。

しかし、なかなかその回答は見つからない。

 

とにかく間違っていないのは「本人の意志」、こういう考え方をする親御さんが10年前と比

べて本当に多くなったように思える。

昔の親には、「生意気なことを言ってはいるが、まだまだ子供」という考えがかなりあった。

今はなかなかそういう親の弁を聞かなくなっている。

 

ここで私の私見を書こうと思う。

あくまで私見なので、読む側の方々が同感するか、しないかで構わない。

私の考え方を押し付ける気持ちなどない。

 

10年以上前の子供たちに比べるとやはり今の子供たちは自己中心主義になったと思う。

自己中心主義は私に言わせれば社会主義と相対する部分があり、集団のルール、常識を軽視

する場合も多い。

学校や塾というのはやはり小さな小さな社会であって、子供たちはやはりそこで社会を学ぶ

べきだと思う。

「本人の意志」の尊重のように言う人多いが、時にそれは自分の前に創出した壁だったり、

障害だったりして、とにかくそこから逃げたいがために周りに対して、いろいろな屁理屈を

言う場合は、健全な意志ではなく、本人の成長の機会から逃げているということも考えられ

る。

昔の親は自己の社会経験でそれを判断できる力があり、子供がそう言っても一笑に付してし

まったが、今は100%真に受けてしまう場合もある。

私が言いたいのは、「本人の意志」というのは、未成熟な子供たちにとって、かなり曖昧な

ものなのである。

自分自身のことを考えても、中学生くらいに考えていたことをその後、自分自身で経験した

ことと比べると大きな差異があった。

むしろあとから自分に降りかかる障害を取り除くために、学生時代に辛抱した経験がかなり

役に立った。

 

これは私の持論だが、子供たちはいつの時代でも間違ってはいない。

明らかに今間違っているのは大人たちである。

現在私が一番感じるのは、私たち親の間違った方向への歩みである。

                                     (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 09:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜52

ご父母との会話にも、生徒との会話と同じポイントがある。

会話自体、そのご父母の子供さんに関して話すのが、中心となるので、よくその子供と会話を

して、ご父母も納得できる内容を取り上げなければならない。

ご父母のみなさんはよっぽど私たちより多くの社会経験をしているため、私たちとの会話の内

容を聞けば、その講師がどれほどのものなのか理解できるはずである。

 

私はお子さんのことについてご父母と話すときには最初から知識の上で敵わないという前提で

お話しすることにしている。

対象に生徒も、私たちと関われるのは週に数時間である。親御さんは毎日一緒に暮らしている

のである。

大前提で行動や言葉から、私たちが気づいたことはすべて気づいていると思わなければならな

い。

ところがダメな者はそれすらわからない。

私にも2人の子供がいるが、どれほど親はわが子のことに胸を痛めるかわからない。そんな歴

史を持たない塾講師が、偉そうに持論を述べる精神状態が私にはわからない。

親御さんを感服させるのは多くの会話から生まれた事実とそれに対する講師の考え方で、それ

がわからない人間には子供たちをリードする才能などない。

 

付き合いが浅い生徒の親御さんと話すときは、私はよく質問攻めにした。

あらかじめ聞きたいことをリストアップしておき、よくご父母の皆さんにぶつけたものである。

そして、面接後にその回答を書き込み、次にお会いした時に自分なりの考えをぶつけてみる。

もちろん全部をぶつけるのではなく、改善した方が良い点や親御さんと話して初めてわかった

生徒の個性・特徴などをぶつける。そのレベルの話をすると少しだが、より深い会話が成立し

たような感じがする。

あとはそれを繰り返すだけ。

現役時代、私はそういうノートを常に持っていた。今あるノートは300冊を超えるが、こうい

うことはプロなら当たり前だと思っていた。しかし、今はどれほどのものが行き当たりばった

りなのだろう。本当に情けなくなる。

 

ご父母と話す場合、まずは生徒本人と何度も会話を繰り返す。そして、初対面はその会話の中

から、思い浮かんだ質問をご父母にぶつける。そして、それを繰り返しながら、自分の意見を

少しずつ述べていく。

それくらいのことはして当たり前だと私は思う。

| とよ爺 | 学習塾 | 11:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜51

前稿に引き続き、わが塾の講師について書こうと思う。

内容は生徒との会話をもっとすべきであるとここのところ書いているのだが、わが塾の講師たち

が十分にできているかと言えば、「ノー」である。

その典型的なタイプがいわゆる自己中タイプというのを前稿で書いた。

この記事では具体的にそれがどういうものなのかを書いていこう。

 

「自分は子供たちに何らかの影響を与えたい」、そう思っている人は意外に多い。

私は多くの学校の教職員の皆さまとも多くお付き合いをいただいているのだが、特に若い先生は

このようなことを考えている人が多い。

直接、その旨をぶつけ、質問することもあるのだが、その時は、「私みたいな若造はそんなこと

は考えません」などという答えを返してくるのだが、行動や考え方を見てみると考えていないと

はとても思えなかったりする。

中には、「それは、この仕事のいちばんの醍醐味だと思う」などという大胆な答えを返す者もい

るが、子を持つ親の気持ちになってみれば、それは恐ろしい話である。

塾の先生にしようと塾に預けているわけではないのだから、変な思想や価値観を塾に植え付けら

れてしまっては大きな迷惑である。

親の立場になって考えれば誰でもわかることである。

そういうことをできの悪い者はいつまでたってもわからない。

前にも書いたがそこに会社管理というフレームがかかっていれば、少しは安心である。個人の偏

った思想ほど怖いものはない。

親は子供の弁を信じるしかなく、今の親御さんに関して言えば、それを丸呑みしてしまう方が多

い。そういうことを考えると本当に危険である。

前にも書いたが、勤務状態が悪く解雇した者がおり、子供たちに踊らされていると感じることも

あったのだが、その親御さんもわが子が毎日のように学校を遅刻していたり、教師の忠告を聞か

なければ不安になるはずで、そういうことを考えると私たちの責任は重いのである。

 

前に戻るが、生徒との会話を十分にこなし、生徒の成長のために良かれと思って会話をするとい

うのが、一連の会話重視の本筋である。双方の気持ちを通じさせ、相手側に自分の身を置いて、

忠告することが大事なのである。

ゆえに私が最初に書いた自己中というのは、自分側の面目や都合で話すこと。こういう会話はい

くら時間をこなしても無駄である。

お恥ずかしいが、わが塾の講師の中にそのレベルの者が複数いる。

非常に大事なことなので、教育していかなければならない。

| とよ爺 | 学習塾 | 11:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜50

前稿に続く。

数稿書いている生徒との会話についてだが、私の経営する塾がそれをできているかと言えば

悲しいかな否である。

特に今の若い世代はその重要性に気づけていない。

「先生というのは生徒を導くものだ」という考えを否定するわけではないが、その前段とし

て、生徒個々を理解しなければならないのだが、それができていない。

要するに大人として子供たちに自分の中のいろいろなものを押し付けたいのである。

そういう講師が信頼されないのは明らかで、長い時間、この仕事をしていても気づけない者

が結構多い。

このブログは自分の塾を宣伝するものではなく、自分の塾を含む多くの業界人に読まれてい

るので、あえてこれからの成長を期待して、自塾の者には辛口になろうと思う。

うちの塾の講師もこれを軽視しているものが多い。

 

また、生徒との会話ができていると勘違いしている者の中には、いわゆる自己中の者も多い。

自分で塾を経営して、それなりに世間に向かって勝負を挑んでいる人間ならまだしも、使わ

れる身であたかも自分の塾のように振舞う者もいる。

やはりそれもいくら会話ができたとしても、良くないことである。

そういう人間は最後には組織にはいられなくなるので、残った生徒たちを傷つけることにな

る。

私の塾にも、勤務状態が良くないので解雇を申し渡したところ、会社のやり方が気に入らな

いと退塾したり、クレームをぶつけられた場合もあるのだが、会社でやっている限り、社内

のルールがあり、それに従うのは当然のことである。

本来は自塾の素晴らしさを日常伝えるべきで、そういうクレーム等が出てくるというのは自

己中心的な教室運営をしているといってよい。結果、周りに大きな迷惑をかけるので、注意

しなければならない。

そういう人間と生徒間で会話が成り立っていても、最終的には生徒を傷つけることになる。

 

ゆえに生徒との会話はある程度の管理下のもとで行わなければならない。中には変な思想を

持つ者がいないとは限らない。

相手が子供なので、それは絶対に注意しなければならない。子供たちを預かる側の欠かすこ

とのできない常識範囲の責任である。

この読者の中にご父母もいるかもしれないので書いておくが、そういう講師は質が低い。社

会の常識のない者に教わるというのはその時は良くても、将来、わが子にマイナスを与える

こともある。注意してもらいたいものである。

 

私の塾の講師たちに戻る。

私自身、その重要性は話しているのだが、なかなか徹底できない。

いまの塾に欠けてきていることはまさに手間のかかること。

生徒との会話は最も重視すべきことなのである。

| とよ爺 | 学習塾 | 11:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜49

前稿に続く。

前稿では、会話が苦手な講師をどういう風に育てていくかを書いた。

言い古された方法ゆえ、読むに足らないと思った方も多いと思う。

しかし、こういうことを日常的に行っている学習塾は存在しないのではないかと私は

思っている。

簡単なようで難しいのである。

 

かつてある塾屋さんから、いろいろな相談を受けたことがある。

塾屋としては地味な方で、記事に出てくる会話が苦手な講師に共通する部分を数多く

持っていた。

そういう人格なのに塾屋になろうというのだから、相当子供が好きなのだろう。

私はそういうことから、むしろ逆にこの人の可能性を感じた。

 

アドバイス内容は前の記事などで書いたこと。

その人は非常にまじめに悩んでいたのですぐにそれを実行した。

その時点のその人の塾の生徒人数は7人、私と話したときは廃業を考えていた。

加えて相談する人たちほとんどに、「君には向かない仕事」というアドバイスを受け

ていた。

「toyojie先生は私に向いていないと言わないんですか?」、彼は私に何度もぶつけて

きたものだ。

「いや、やり方によったら、いい塾屋になるんじゃないかと思うよ」、そう私が言う

とギラギラと目を輝かせた。

私はそれを見て、よっぽど見どころがあると思った。

 

彼は私の言うことを忠実に実行した。

使うことになったアルバイトにも、どういう性格であれ、彼はそれをすべての人間に

課した。

驚くなかれ今は生徒数400名生徒数6教室の経営者である。

ひとつでも良い、徹底的にできることをやれば、それなりの塾になるのである。

                                  (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 19:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜48

前項の続きだが、講師たちの生徒との会話力にはやはり個人差がある。

大人同士話していて、結構面白い奴でも子供たちに対してはだめな奴もいたりする。

自分の感覚でこいつは大丈夫だと思っても、必ずしもそうではないので面白い。

しかし、大人に対して、話し上手な人間は最初はだめでもいつかはものになるというのも

現実である。

 

いわゆる話し上手な人間は放っておいても、いつかは一定のパフォーマンスができるよう

になるのだが、問題はからっきしダメな人間である。これは放置しておいてもうまくなる

ものではない。

私はこういうタイプの者と何度も仕事をしたことがある。

 

塾のような仕事現場ではやはりある程度の会話力が必要となる。

これは授業を行ううえでも必要なことである。

私はこういう人間に対しては、専任・アルバイトを問わず、必ず最初にその必要性を話し

た。

専任に対してはこの職業でやっていくなら、その部分を鍛えなくてはいけないということ。

アルバイト学生に関しては、社会に入ったら、絶対に会話力は必要だということ。

誰しもその必要性をわかっているので、それに関しては決して難しいことはではない。問

題はそういう人間の教育である。

 

私がした教育を説明しよう。

面白いものでそういうタイプは子供たちの中にもいる。私たちとなかなかフランクに話せ

ないというのは接してみると顕著にわかる。

私は会話が苦手な講師をそういう生徒の担当にした。

 

まず最初にやることはその生徒の興味があることを聞き出すこと。それを引き出すための

アプローチの仕方を教えた。

そして、それが判明した時点でそのものを徹底的に勉強させた。これをすることによって、

会話はどんどん存在してくるものなのである。

 

他の講師でも手の付けようがない生徒と会話できるというのはやはり強烈なスキルである。

そういう講師が教室内にいるといないでは大きく違うというのは言うまでもない。

                                   (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 19:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜47

前回の稿で生徒たちの声掛けをみんなで行ったという記事を書いた。

その結果、みな同じような生徒に声掛けをする割合が高かったと書いた。

私に言わせれば、やはりこちらを受け入れてくれやすい生徒に会話が集まるのは必然で、ここを

改善しない限り、こちらの主たる目的は達成できない。

 

また、その後のアンケートで分かったことだが、やはり声掛け時間が少ない講師に対しての信頼

の度合いは薄い。

ある意味、生徒からの信頼は会話時間に比例すると言ってよいほどだった。

そういうことがわかれば、やはりこちらの行動はわかりやすい。

私もそれなりの方法をとった。

 

一番効果が出たのは、生徒が来ているときは必要最低限での講師同士の会話しか許さなかった。

講師同士話していると、子供たちは会話に入ってこれない。逆に子供たちと話しているとその会

話に新たな子供たちが参加してくるという傾向が明らかだったからだ。これはかなりの効力を発

揮した。

 

また、これも必要最低限でしか、講師控室に入れないようにした。

生徒が来ているときこそ、戦場のごとく立ち回らなければいけない。控室で休憩している暇など

ないのである。

控室があると引きこもりついつい休んでしまうのだが、昨今の塾はこの控室を作らないことが多

い。子供たち同士の会話ができなくなり、大人が介入していないと生徒同士のトラブルに発展し

てしまう場合も多い。つくづく私はこういうところに時代の流れを感じてしまう。

今の子供は明らかに協調することが苦手になっている。

 

こういう昨今の子供たちを当初は私たち大人が入って会話を成立させても、いつかは個々が自由

にいろいろな相手と会話できるように変えていかなければならない。それができるようになると

子供たちに社会性が生まれ、成績も飛躍的に伸びていく。

そういう意味で私たちの仕事には子供たちとの会話は不可欠である。

                                      (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
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