子どもたちのことを真剣に考えましょう。

病院での再会

一昨日、病院に行ったことは昨日の記事で書いたのだが、偶然、その病院で昔から知って

いる同業者にあった。

私は還暦をとうに過ぎている歳なのだが、その知り合いの塾屋は私よりはおそらく10歳以

上は若い。

私は心臓病のセクションに通っているのだが、その知り合いも同じセクションである。

年寄りが多いセクションゆえにかえって心配になる。

 

「どこが悪いの?」

「とよ爺先生は?」

「狭心症などいろいろ、ステントが1本入っている。君は?」

「同じようなもんです。長年の不摂生がついに来たという感じです」

「なりの果てが俺か、俺みたいになんなよ」

「とよ爺先生はぱっと元気そうですけどね」

「今はな、一時はだめだった。半年で3度も入院したよ。情けない」

「頑張ってくださいよ。まだ先が長いんですから」

「いや、塾はこの4月で引退だ。今は引継ぎしてて、夏になったら、おさらばだ」

「とよ爺先生がですか? 塾、大好きじゃないですか」

「病気に負けたんだよ。だからお前も気を付けろ!」

「俺も実はもうやめようかと思っているんです。今のうちだったら、次の職にもつける。

これ以上踏み込むと抜けられなくなるから」

「生徒が減っているの?」

「5年前の半分以下ですよ」

「大変だな」

 

最近、本当にこういう話ばかりである。

もちろん勝ち組もいるのだが、特にうちの県は他県と比べて、負けてしまう者が多いよ

うに感じる。

他県と比べ、大手のやり方が地域密着型の私たちのやり方に酷似している。いやここ数

年で酷似してきた。

塾という業種は基本的には地域によって来るものだと昔から思っていたが、大手もやっ

とそれに気づいてきたということではないだろうか?

 

「残念だけど、もう決めてんだろ」

「はい、来年の3月まではやろうと思います」

「どちらにしても身体が第一、しっかり治せよ!」

「はい。お互いにね」

偶然の出会いだったが、なんとも寂しい出会いだった。

| とよ爺 | 学習塾 | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜58

そもそも学習塾はサービス業であるのだが、昔の塾屋には「第二の学校」と称し、それなり

に大きな成功を収めた者もいる。

ゆえにいくら私がサービス業と言っても、笑い飛ばす者も多くいるのは確かである。

しかし、業界全体を見ると、確実にその手の塾屋は減っている。

私に言わせれば、やはりそういう塾屋さんは一昔前の塾屋さんである。

 

その手の人たちの多くは個人塾、組織としての塾をやっている人は皆無である。働く者もそ

ういう考えの経営者のもとではやはり不安になる。その手の人は塾屋としての組織を作るこ

とが難しいのである。

 

なぜかと言えば、お客さんの方が学習塾がサービス業だと思っているからで、子供を通塾さ

せるのはサービスを受けたいからで、決して子供の本質的な部分を変えてほしいと思っては

いないからだ。

もちろんそういうニーズは明らかにあり、それを否定するわけではないのだが、実際にその

手の塾は存在している。

しかし、その手の塾はいわゆる学習塾とは異なる。そして、先に述べたように大きな組織に

はなりにくい。

通常の学習塾のサービスを求める人の方がはるかに多いからである。

 

実は私の塾は昔から、「全人教育」をうたっている。しかし昨今、やはり本来の学習塾のサ

ービスがしっかりできないととてもやっていけない。学習効果を高めるために躾、道徳はあ

ってもよいが、学習効果を無視するそれは存在しない。学習指導以外の添加するサービスの

中で言葉遣い、挨拶などなど、指導するという範囲を超えてはならない。

というわけで正直に言えば、私の塾では「全人教育」をうたってはいるのだが、そういうこ

とを第一義に考える特殊な塾ではない。「全人教育」をするのなら、それなりの覚悟が必要

である。「個」を捨て、自己の理想を追いかけていかないと現代っ子の状況やそのご父母の

ニーズを考えるととてもできないことだと思う。

私はマスコミなどで言われている「親の子育て放棄」が増えているとは思わないが、昔の親

御さんと比べると世の中が複雑化し、迷っている親御さんが多いように思っている。

ゆえに「全人教育」というような途方もなく大きいものではなく、そういう親御さんの迷い

に寄り添えるようなサービスは必要ではないかと思う。

                                     (つづく)

 

| とよ爺 | 学習塾 | 10:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
迷い

前項に続く。

私は目の前にいる相談者に今まであってきた塾屋さんたちと共通する部分を感じていた。

しかし、今まではこれまで記事に書いてきたようなことを話しても、勉強するような人は

皆無だった。

そういう雰囲気を感じさせるものをその人も持っていた。

 

いちはやく話を終えて、私はその場を出たかった。

「はい、はい」「よくわかります」と返事はするのだが、わかっていない者に供する部分

を数多く私その人に発見していた。

私はプロの塾屋である、そういう人間観察には長けている。

「最後は決めるのはあなたですよね。私がそれを決定づけることなんかできません。それ

ができるとしたらあなたと運命を共にする人だけです。そういう結論を他人にゆだねるの

は卑怯な行いです。私には頑張ってくださいとしか言えません」

 

その相談者は、相談とは名ばかりで、私からいろいろな案を引き出そうとしていた。

相談というのは自分の状況を説明し、心情を吐露してもらえなければ何のアドバイスもで

きない。

その人は自分の都合で他人の貴重な時間を無駄遣いさせているだけである。

私にとって失礼だとしか言いようがない。そればかりか、間に入り、私を紹介した人も裏

切ることになる。

こういう基本ができていない人間に成功があるとは思えない。

自己中心的な人間に成功などありえない。

 

実はそういう人間は後を絶たない。

いやむしろ増えてきたような感じがする。

教え子の中にもそういう人間がいて、困ったときには相談に来るが、頼み事だけして、後

は何の報告がない人間がいる。私はそういう人間は切ることにしている。

露骨にいうことはしないが、私の人生の残された時間は多くはない。ゆえにそういう人間

とはかかわりたくはないのである。

 

「わかりました。冷たいんですね。私はとよ爺先生から、ヒントをいただきたかったんで

す。若い同業者の味方だと聞いていましたんで。時間の無駄だったようですね」

誘われたお願いされたのは私の方なのに私は逆に無駄だったと言われてしまった。

腹も立たなかったが、逆に最後のその言葉で相手の今後が心配になってしまった。

「すべては神のみぞ知る、神はどんな小さな努力でも逃さない。小さなことでもできるこ

とからやろう!」

私もそんな時代があった。

私は心の中でその人にこの言葉を贈った。そして、別れて初めて、「頑張ってほしい」と

都会の人ごみの中、感じたりしていた。

| とよ爺 | 学習塾 | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
迷い

前稿に続く。

こういう相談をしてくる塾屋さんたちには共通点がある。

例外なく誰もが個人の問題として、個人の感覚として仕事をとらえ、本質的な部分を理解して

いない。

本当に嫌なになるほど同じタイプである。

社会の状況、業界の状況、それを話す者もいるが、本質は何もわかっていない。

勉強不足が、1分も話すとわかる。

その状況の捉え方も、個人的な主観、視野で組み立てられているということが分かっていない。

勉強していれば、出てこないような話を平気でする。

そういう人間は悪いが、どの業界に行っても通用しない。

要するに社会の常識、真理さえも、理解していないように私には見える。

塾やゆえ、それまで生きてこられたのかもしれない。

歴史のある業界、人物、などなどに、尊敬の気持ちがない人間はダメなのである。

 

私はそれゆえ、この塾にも歴史があり、それを学ぶべきだとこのブログに書いてきた。

塾業界の人間は塾の歴史が新しい、歴史をつくってきたのは私たちだという人が多いが、私に

言わせれば、歴史から変遷して今の形があると言い放ったほうがはるかに業界としてもプラス

になるのである。

それが言えるようになるには、もちろんその歴史を勉強しなければならないのだが、そういう

努力を惜しまない者はほとんどこの業界には存在しない。

こういう業界には歴史ができない。

ゆえに常に新しいことをする者が残り、改革や新しい形を生み出せない者は消えていく。

しかし、今新しくてもすぐに時代は進み、そのノウハウは古くなる。

そういう歴史を積み重ねてきた歴史ある他業種の皆さんは時代に対応していくことがxできる。

しかし、この業界の人間はおそらくできないであろう。

 

アカデミーの語源になったアリストテレスのアカデミアも最初は私たち塾屋と同じようなもの

であった。

私はこの話を塾屋のセミナーで昔話したことがあった。

しかし、なぜそれが発展しなかったのか知っている者はいなかった。

機会があれば、記事にしようかと思うのだが、他業界なら、誰でもが知っているレベルの話で

ある。

私に言わせれば、こういうことこそがこの業界の限界だと思うのである。

歴史に謙虚でなければ、最後に押しつぶされてしまうのである。

歴史に感謝しなければ、いつか天に見放されるのである。

人々の塾離れ、相談を受けているような人たちの淘汰は当然起こっているものなのである。

| とよ爺 | 学習塾 | 11:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
迷い

前稿に続く。

業界の勝ち組を知るということはそのノウハウを真似するということではない。

器用なものなら、それを自分の教室運営に生かすということもできるのだが、塾のサービス

はそんなに単純なものではない。

多くの要素が複合的に効果を上げている場合もある。

いや世の中のノウハウというのは、ほとんどそういうものではないかと思う。

そうでなければ誰もが真似ができてしまうし、特別なものでなければ特許などとは無縁のも

のである。

しかし、そこから世の中のニーズや今までにない工夫を感じ取ることはできる。

私は45年あまりこの業界にいて、初めてその重要さに気づいた。そこには間違いなく真理が

あり、非常に明確なものである。

 

私はこのブログを通じて、そういうことをずっと訴えてきた。

塾屋というのは、いろいろな方とお付き合いさせていただいてきたが、私に言わせれば、ほ

とんど同じ思考のパターンを持っている。しかし、父や次兄が多くの大会社の重役の方々、

小さな会社から、国を代表する企業を作られた方々とお付き合いがあり、そういう方々のお

話を気宇に当たって、明確に塾業界にいる方々との違いを感じ取ることができた。

例えば、学習塾ブームはあったのだが、その本質をむしろ塾業界のものよりも深く感じ取っ

ている部分があった。

前にこのブログの記事に書いたのだが、三井ガーデンホテルズの社長様の話の中のブランド

について、「サービス業のブランドはお客様との約束をどれだけ守れるかです」と話してい

たのだが、私にはそんなことはサービス業に共通するもの、言うまでもないでしょ、という

心の声も聞こえるような気がした。

 

ホテル業では、その約束を100%守るということが大前提で、仕事が組み立てられる。

では私たち塾業界では同だろう?

「成績を上げます」と約束した場合、100%の成功を念頭に入れて、仕事が組み立てられて

いるのだろうか?

「サービス業はみないっしょ!」、その社長にそういう理念が植え付けられているから、ど

の業界に対しても理解が成り立ち、アイディアをもらうことがあるのではないかと思う。

その社長さんは業界では有名な方なのだそうだが、やはり並ではないと感じる部分が多い。

 

前回の相談も、今回の相談も、私は塾業界に対しての中途半端な認識から、いまの事態を招

いていると感じることも多かった。

塾も明らかに次のステップに来ているのだ。

塾業界に対して、世の中の洗礼が訪れている。

真のサービス業になれるか、なれないのかの岐路に立っているのではないかと思う。

ある意味、今までが楽をしてもやってこれたということをしっかりと認識しなければ勝ち残

れないと私は思う。

| とよ爺 | 学習塾 | 10:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
迷い

昨晩、同業者の話を横浜で聞いた。

前に記事にした「身上相談」とほぼ同じ内容である。

ブログというのは恐ろしいもので、休筆していたころにはこういうことはなかったのだが、

再開したとたん、もう3件目となる。

私なんぞに相談しても何もならないと思うのだが、私が聞いてあげることで苦しい心情が

少しでも緩和できるのかもしれない。

いつも何もできないということを確認して、こういう場に臨む。

私自身、この仕事を続けていくことが難しくなっているのに、偉そうなことは本当に言え

ない。

 

前の相談と違って、続けていくか、廃業するか迷っているという。

ギリギリやっていけるのだそうだが、生活にはあまり余裕はないそうだ。

と言って、転職しても、他塾のお世話になっても、それが大きく改善されるとは思えない。

それどころか、年齢的に再就職が可能かもわからないという。

「仕事に対して、あなたは情熱を持てるのですか?」

「はい。もちろん情熱は感じます。しかし、先日ブログで紹介されていた方のように、煮

詰まっているとは感じませんし、有効な手段があれば、試してみたいとも思います」

「いままであなたなりによいと感じたことはやってきたのですか?」

「もちろんです。しかし、どれも有効ではありませんでした」

 

個人塾に限らず、今は大手学習塾といえども、いろいろ努力をしていると思うのだが、有

効な手段にはならず消えて行ってしまうことはほとんどである。いま塾というのは、数年

前と比べ、まったく周囲の状況が異なっている。

と言っても、決して勝ち組が出ていないわけではない。まさに今は淘汰の時代に入ってい

る。

有効なアイディアや体力があるものが生き残り、そうでないものはこの世界から去ってい

く時世である。

もちろん運もあるが、やはりそこには冷静な分析や仕事に対しての知識、情熱も必要であ

る。

 

「あなたはいわゆるこの業界で勝ち組になっている人たちのことをどれだけ知っています

か? 研究したことはありますか?」

「知っていますが、研究までしたかと言えばノーです。自分がやろうと思っても、できる

わけがありませんし」

 

実は前の時も同じ質問をしたのだが、同様の答えだった。

こうなってしまった一因は、こういうところにもあるのではないかと私は思った。

| とよ爺 | 学習塾 | 10:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜57

言うまでもないが学習塾は完全なるサービス業である。

若い人たちによく思い込んでしまうのだが、学校とは全く違うものである。

ゆえに一番大事なことは、どれだけ素晴らしいサービスを与えるかであり、サービスの向上は

常にみなの共通の認識として、取り組んでいかなければならない。

しかし、働く者の性ではあるが自分中心にものを考えてしまう者があまりにも多い。

もちろん社員教育は必要なのだが、なかなかこの仕事の本質をとらえられる者はいない。

私の塾でも、骨身からそれを理解している者は少ないだろう。

 

学校の先生で言えば、今は少なくなってしまったのだが、私のお付き合いしている人たちに関

して言えば、常に自分は生徒たちの範にならなければいけないと思っている人が多い。

「いまどき!」と考える人もいるだろうが、これは教師の本質的な部分であり、いつの時代に

も、欠かせない部分ではないかと思う。

私に言わせれば、常にそういうことを意識している教師の人で、いわゆる失格の烙印を押され

る人はいない。

 

学習塾はと言えば、もちろん学校の教師の人たちとは異なる。学校の教師はよっぽど経営状況

が悪い私立校以外は、雇用は安定している。もちろん教師失格の烙印を押された者や不祥事を

起こした人間はそれには当てはまらないが、それなりに安定している。

しかし、学習塾は違う。もちろん大手の経営が安定している塾もあるが、そういう塾はいつ首

をはねられるかわからない。加えて中小の塾は毎年、数えられないくらいなくなってしまって

いる。生活していくゆえに欠くことのできない部分はある。ゆえに学校と同じようなものと考

え、学習塾で働くといろいろな面で合致しない部分がある。

その合致しない部分をその会社のかけている部分と思うのなら大きな間違いである。

塾は学校とは違う。

 

そういうことはわが子を預けるご父母の方はほぼ100%理解している。むしろこれが理解でき

ていないのは、塾に従事している者の方である。

こういう本質的なことはわからない者は結構多いのである。

 

学校にはできて、塾にできないことはたくさんある。

学校の先生なら許されて、塾の先生に許されないことなどいっぱいある。

職分が全く違うのである。

例えば、わかりやすく言えば、学校の先生は公正に子供たちを評価し、成績をつけるという仕

事があるのだが、塾のわれらに望まれているのはその学校の評価を高めることで、自ずと仕事

やそのノウハウは違うのである。

今の塾屋の人たちにおいては、この本質的部分の理解が足らないと思える人達がたくさんいる。

しっかりと理解してほしいものである。

                                      (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 10:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の顛末

先日、私は三稿ほど「身上相談」という記事をアップしたのだが、その記事に対して以下の

ようなコメントがあった。

「とよ爺先生、いつも楽しみにブログを拝見しています。実は私も個人塾を経営しています。

先日、アップされた「身上相談」という記事なのですが、私の塾も相手の方と同じような塾

で、少子化と不況に悩みながら、何とかやっています。こういう思いをしても、なぜ続けて

いるのかと言えば、私はこの仕事が好きで楽しいからです。私も自分のやり方を否定して、

続けていくつもりはありません。ゆえにその方も納得して、お辞めになると思います。それ

で良いのではないかと思います。時代とは無慈悲なものです。どんなに良いものでも、それ

を打ち消してしまいます。私もこれからどうしていくか、あの記事でいろいろ考えました。

おそらく私も相談者の方と同じ結論を出すと思っています。……」

 

世の塾屋にはこういう人が多いのではないかと思う。私は45年に及ぶ自分の塾屋人生の中で

こういう人を数多く見てきた。そのほとんどが個人塾を経営する方々で、このようなやめ方

廃業の仕方を許される人たちだった。従業員を抱えている方々は、自分の意に反しても、従

業員のためにいろいろな手を打っていたが、それでもダメな方もいた。

私が言いたいのは、その時の個々の状況ですべてことが違ってくる場合もある。

ゆえに記事にした方とこのコメントをくれた方の状況は違うのだし、このコメントの方はそ

れなりの努力をしているかもしれない。

私が相談を受けた者は私に言わせれば集中力も切れ、投げやりになっていた部分があるよう

な気がした。

要するに自分自身のやり方にも嫌気がさし、ギブアップしてしまった感があった。

そういうことも少し差異があるような感じがする。

 

しかし、このコメントで言えば、私は次の言葉に引っかかった。

「時代とは無慈悲なものです。どんなに良いものでも、それを打ち消してしまいます。」と

いう部分である。

果たしてそうなのだろうか?

私は時代とは常により良いものを求めていると思っている。

確かに良いものなのだろうが、より良いと周りが感じたものにはそれは敵わない。

いくら良いものでも常により良いものに改良していかなければならない。

それをしなければ、サービス業は成り立っていかない。

塾はサービス業であり、そのサービスに人々はお金を払うのである。

それを無視してやっていくのは、やっている側の思い上がり以外の何物でもないのではない

だろうか?

廃業していった者たちはみな自分のそのような努力不足を周りのせいにしているように私に

は見えた。

私はそのような「塾屋の顛末」を数えられないほど見てきたのである。

どんな職業も地道な努力なくしては成り立たない。

そんなことを考えさせてくれたコメントだった。

| とよ爺 | 学習塾 | 10:59 | comments(2) | trackbacks(0) |
身上相談

前稿に続く。

これまで書いた来たような塾屋さんのタイプは結構多い。

世の中がどうだとか、今の教育はおかしくなっていく、などと言いながら、廃業していく人が

ほとんどである。

これは私の持論なのだが、いや持論ではなく、真実なのだが、学習塾は学校とは違う。誰がど

ういおうとサービス業なのである。

サービス業というのは、お客さんにサービスを提供して、そのサービスの代価として、収入を

得る。自分勝手に自分の好きなこと、あるいは自分の思うことをして、お金をいただくのでは

ない。

あくまでサービス業なので、サービスの質を高め、しっかりとした効果を出し、代価をいただ

くのである。

こういう基本的なことを考えずに議論をすること自体、私には無駄としか思えない。もちろん

自分自身の主義、主張、考え方はないわけではないが、それをサービスに変えたときにしっか

りと支持していただけるものでなければならない。

 

この手の人間は時代がどうあれ、自分を変えることはしない。私に言わせれば、それは怠惰で

あり、腐りかけている品物を売っているようなものだ。商品は常に新鮮で、素晴らしい味を出

していなければならない。

そうでなければ、売れ行きが落ちるのは至極当然のことなのである。

サービス業なら、時代、情勢、流行、そして、より効果的な方法を常に試行錯誤して、提供す

るサービスを変えていかなければならない。

そういうことがわからない人間といくら話しても、時間の浪費である。

 

私は思っていることをはっきりと話した。

加えて、私と話すことは無駄なことだと彼を突き放した。

彼はうつむき、何か言いたげだったが、私の言葉をかみしめるように聞いていた。

「わかりました。自分が甘かったんですね。しかし、そういうものに媚びていたら、教えてい

ても、私は充実感を感じなかった」

「そうかな、塾屋は子供や親御さんの笑顔が一番うれしいものだ。自分の意にそぐわないやり

方でも、相手が満足してくれれば、自分の心も満ちるものだ。何よりも私たちはプロなのだか

ら。自分が満足するためにやっているのではない。相手を満足させるために身を削るのがプロ

だよ。遊びの塾経営だから、廃業しなければならなかったのかもしれないよ」

私は最後に一撃を与えた。

「よくわかりました。今日のことは絶対に記事にしてくださいね。世の中の塾屋さんたちのた

めに」

「ああ、えらそうなことを言っちゃったね。これからの人生は長い、頑張ってくれ」

 

こんなことを言っている自分でさえ、この職業においてのカウントダウンは始まっている。

こんなことも言えなくなるときがすぐそこに来ているように思う。

塾屋としてのこの人生をとにかく全うしたいものである。 

                                     (終わり)

| とよ爺 | 学習塾 | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
身上相談

「今の教育は間違ってますよね。このままだとどんどん子供たちの学力は落ちるばかりです。

われわれ学習塾に対しても、だんだん本質が世の中の人たちは見えなくなってきている。人を

教育できるのは人であって、システムでもマニュアルでも教材でもありません。人教育できる

のは人だけです」

彼は話しているうちにどんどん興奮してきて、世の中のほぼすべてを否定しているような語調

になってきた。

 

このまま彼の話を聞いているのは面倒だったので、私は話を切るべく、彼の言葉を遮断した。

「ちょっと待って、君の話ってそういう話なの?」

「まあそうです。とよ爺先生だったら、僕の言っていることの正しさはわかるでしょ。世間の

人は広告とか風評に騙されて、おかしくなっていますよ」

「君はさ、君の塾の塾生が減ったのはそのせいだと思っているの?」

「ほかにも理由はあると思いますが、ほぼ私が言ったことが原因ではないでしょうか? とよ

爺先生もそう思うでしょ」

あまりの一方的な思い込みに私は返す言葉を失ってしまった。

この手の人間は私の業界には星の数ほどいる。しかし、みな行き着く先は決まったようなもの

だ。加えて普段から「先生、先生」と言われて、思いあがっているせいか、自分の非にまった

く気づかない者が多い。

こういう人と話しても、何も得ることはできないし、こういう人の考え方を変えるのは難しい。

私はすぐにその場から、逃げ出したくなった。

 

「そういう話の内容なら、何もアドバイスできないなあ。所詮私では世の中の流れを変えるこ

となどできないからね。それに君と私の考え方は違う」

私はそう言ってから、余計な議論を生んでしまうと後悔したのだが、それは後の祭りだった。

「どういう風に私ととよ爺先生は違うのですか?」

私は答えるしかなかった。

 

「教育もあらゆるものと同じように、進化・変遷をしなければならないものだと思うんだよ。

時代が変われば、価値観も変わるし、生活も変わる。教育は処世術を教えるものではないのだ

が、変わらなければならない部分もあると思う。例えば科学、時代とともに進化していく。古

い科学を教えても、仕方がない。とは言え、古きよきものを学ぶというのも教育である。要す

るにバランス感は必要だと思う。ゆえに私は現行の否定から、すべてを考えるようにしている。

それをしないと自分自身が老いてしまい、新しい良いものも受け入れることができなくなる。

それはあまりにも寂しいことではないか」

 

彼は私の弁をもの言いたげに聞いていた。

なんだか長くなりそうな嫌な予感がした。

                                      (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 10:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
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