子どもたちのことを真剣に考えましょう。

桜物語

w=IMG_0280.JPG昨日、ここのところの私の日課になっているウォーキングした際に、お気に入りの桜並木の散歩道に向かった。

10日前、桜吹雪の中を散歩したことが記憶に新しいのだが、いまはもう葉桜になり、夏を迎える準備をしていた。

抜けるように青空の日だったのだが、やはり桜の花が見られないのは寂しいものだ。

夏はすぐそこまでやってきている。

 

ウォーキングということで、上はTシャツ一枚で歩いたのだが、昨日は海からの風は意外と冷たく、ひとところに止まって、桜を鑑賞する気にもならなかった。

葉桜も美しいという人もいるが、やはり少し寂しい気がした。


W-IMG_0282.JPG桜に人の一生を見る人が多いとも聞く。

葉桜はどう表現されているのだろう。

満開の桜は夢多き青春時代の様なのか?

散る桜はいろいろなことに傷つき、感傷的になっている青春時代の後期なのか。

 

そして、この葉桜はそのすべてを乗り越えて、大人の世界に旅立っていく人の姿なのか。

桜というのはとにかくいろいろなサゼッションを私たちに与えてくれる。

夏の暑い太陽にさらされる桜はどんなだったのだろうと思ったりもした。

そして、冬の桜も。

それはそれでいろいろなことを感じさせてくれるのだろう。


W-IMG_0283.JPGとにかく桜のシーズンは終わった。

自分の不安な心を桜に寄りかかって、避けて通ることはもう終わりにしなければならない。

青々とした桜の葉に何を感じればよいのだろう。

新たな生命の息吹を感じるには、満開の桜の残像が残っている今は難しい。

 

青い葉は新たな花を咲かせる準備と考えるのが良いだろう。

そう考えれば、すべて前向きにとらえられる。

歴史上の人たちは桜を見て、何を思ってきたのだろう

そんなことを毎年、この植物は私に考えさせる。

今年は特にたくさんいろいろな桜を見た。

この経験はこれからの私にどんな教訓を与えてくれるのだろうか?
 

| とよ爺 | 日記 | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
春の訪れ

最近やっと春が訪れてきたように感じる。

暖かいと思ったら、肌寒かったり、季節外れの強風が吹いたり、季節をどう捉えてよいのか

なかなかわかりづらい日々が続いた。

以前までなら、こんな感性は私にはなかったのだが、病気をしてからとこういうことにはえ

らく敏感になった。

季節感とは、歳をとればとるほど感じられるものかもしれない。

 

「春が待ち遠しい」、こんなこともあまり感じたことはなかった。

桜などは、季節が来たら突然感じるという具合だった。

しかし、今は桜の開花を自分がいる。

若いころ、こういう人は風流だと感じていたが、今となっては極めてノーマルである。

 

欲がない生活を送るようになってから、他人の欲はよく見れるようになった。

もっと若いうちにこういう能力が私に備わっていれば、数えきれない失敗をしてきた中の

いくつかは回避できていたのかもしれない。

人間、もちろん歳をとると衰える部分の方が多いのだが、成長する部分もあるのだなあと

最近は思えることが多い。

これを「悟り」という人もいるが、それは大きな間違いで、特に私の場合、若いころに努

力・勉学していれば当然分かったことが、今になって少しずつ分かるようになってきたと

しか思えない。

凡人はどうあがいても凡人、これも仕方がないことだと思う。

 

先日、私の友人と話していて、いつか桜前線とともに自分も北上していって、一か月間、

桜を見続けてみたいという話を聞いた。

私も可能なら、いつかはやってみたいと思ったりした。

夜はその地方のおいしい食とお酒を満喫し、昼は満開の桜を見る。

ある意味、究極の過ごし方である。

そんな究極を探しながら、人生を締めくくるのもまた素晴らしいのではないかと思う。

今は本格的な「春の訪れ」に経験したことのない究極を求めている私である。

| とよ爺 | 日記 | 10:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜物語

s-IMG_0255.JPG福井出張やこちらに戻ってからのいくつかの仕事をこなし、やっと自宅に戻ってきた。

自宅に戻った瞬間に日常に戻る。

午前中に健康や病気治癒のため、ウォーキングをするのも私の日課である。

何もなければ、一日20000歩は歩くようにしている。

午前中に最低5000歩は稼いでおかないとなかなか20000歩は難しい。

 

私のウォーキングコースにも桜が咲いている。

見事な桜なのだが、写真のように平日となるとあまり人もいない。

前の記事で書いた足羽川よりは短いのだが、ここの桜も結構素晴らしい。

どの木も手の届くところにある。
s-IMG_0268.JPG満開時も素晴らしいのだが桜吹雪が舞う頃に歩くのもまたよい。

毎年、訪れている私の大好きな場所だ。

 

今年は福井の桜、金沢の桜、川崎の桜と多くの桜を楽しんできた。

最後は慣れ親しんだこの桜、この桜に関しては散るころも毎年楽しんでいる。

爺になってしまったので、そんな桜の経過を見るとつい自分の人生と重ね合わせてしまう。

こういう気持ちにさせられるゆえに桜なのだろう。

 

この日は長い出張だったので、午後に少し出勤して、夕方近くに今度はわんこたちを連れて、朝の桜と逆方向に向かう。
s-IMG_0275.JPGそこは広々としていて、田んぼが広がっている。

その中ほどに菜の花が咲き、川沿いに見える桜とのコントラストを楽しむのも私は好きだ。

この場所に来ると犬を遊ばせ、しばし菜の花と桜を見る。

私にとって、なんとも幸せなひと時である。

歳をとると本当に幸せを感じる場面が違ってくる。

人に一生は本当に面白いものである。

 

この記事を含めて、今年は5稿の桜の記事を書いた。

文字通り狂い咲きのような感じである。

しかし、桜のことで5稿も書けるなどと言うことは幸せ以外の何物でもない。

来年もぜひともこうありたいものである。
 

| とよ爺 | 日記 | 12:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
第二の人生

私も還暦を過ぎ数年たつと、第二の人生を模索していかなければならないという思いがよぎる。

これといった趣味もなく、ただただ全力で人生を走り抜けてきた思いだけで、一体何を残してき

たかと自問自答することも少なくない。

他人は私の性分では、ゆっくりと残りの人生を起こるのは難しいなどというが、それは私自身に

言わせると少し違うような気もしている。

 

私をよく見ている女房に言わせると、どこにいても何か打ち込むことを見つけるよく言えば器用、

悪く言えば貧乏性の部分があるので、それなりにやっていけるのではないかと話している。

遊びにも割と夢中になれるので、仕事がないと寂しいということはないのではないかと思う。

 

還暦を過ぎるとありがたいことにいろいろなお誘いがあって、仕事がないということもない。

しかし、頭が痛いのはやはり健康である。

先日長兄と話し、一昨日次兄と話したのだが、下からこの世を去ってしまうのはいかがなものか

と言われてしまった。

長兄とは11歳、次兄とは7歳離れているので、やはり私が一番最初はダメらしい。

とにかくそういうこともあるので、身体はしっかりと治さなければならない。

 

とは言え、ありがたいことに身体が人並みに動けるようになれば、やることは山ほどある。

「第二の人生」ではなく、「第二の青春」のごとく、動かなければならない。

「自分、自分」ではなく、「全身全霊、若い人たちのために…」などというのもよいのではない

かと思う。

 

とにかくいろいろなことに視野を広げながら、人生を楽しもうと思う。

子供が巣立ち、ひとつの人生においての責任から解放された身としては、そろそろ考えの支点を
自分と女房にシフトしていかなければならない。

少し寂しい思いもしたが、今は考え方を立て直し、前向きに生きようと思っている。

| とよ爺 | 日記 | 09:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜物語

今回の福井出張は結構あわただしいものだった。

しかし、心行くまで桜は楽しめたと思う。

また、多くの方々とお知り合いになることができた。

歳をとると付き合いの幅がどんどん狭くなっていく。

寂しいことだが、それも仕方がないことだと思う。

私自身、おそらくそういうオーラが少なくなっているのだろう。

ここで違う人生の歩み方を模索しなければならないのかもしれない。

 

小松空港から、羽田に戻り、その日はラッシュの中を女房の実家に戻る。

結構、充実した日々を北陸では過ごせたのだが、やはり戻ってくるとそれなりにホッとする。

翌日は東京でアポイントメントがあった。

その日はじっくり休んだ。

 

s-IMG_0250.JPG翌日は歩いて15分ほどのJR駅から、品川に向かう。

新橋で人と会うことになっていた。

駅の手前まで来たところで桜並木を発見。

まさにここも満開で、今年ほど桜を見たのは記憶にない。

川崎の桜もきれいだったので、思わず友人にLINEをする。

この歳になると皆桜が好きである。

 

東京でのアポイントメントをこなし、実家に戻りすぐに用意をして、自宅に戻る。

歳のせいか、最近特に夜の運転が苦手になった。

視界も狭くなり、怖さを感じるようになった。

できるだけ車を使わないようにしようと思っている。
 

昼過ぎ、車で自宅に戻る。

1時間ほどの行程である。

女房はジムに行っているので、自宅は留守だろう。

それでも帰り道を急ぐ。

 

何とか無事に自宅に生還、家ではわんこたちが待っている。

もともと3匹いたのだが、昨年の夏、1匹が癌のため、死んでしまった。

残った2匹にもその悲しさは伝わっていて、前にもまして、寂しがり屋になった。

すぐにハーネスをして、散歩に出る。

2匹ともうれしそうである。

明日から日常がやってくる。

何事もなく、平穏に行きたいものである。

| とよ爺 | 日記 | 09:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜物語

s-IMG_0215.JPG予定通りに福井の仕事を終え、金沢へ。

ここでもいくつかやらなければならないことがある。

しかし、福井と違って、自由時間もあったので友人と金沢見物。

もっとも市内に限られるが時間が許される限り、いろいろなところを観光した。

金沢駅を降りるとすぐ、市内周遊バスの一日チケットを買う。

何回乗っても500円は値打ちものだ。

時間もないので、すぐに東茶屋街に向かう。

最寄りのバス停から、すぐに東茶屋に向かわず主計(かずえ)町へ。

その街並みはなんとも風情があり、浅野川沿いに咲く桜はなんとも美しかった。

福井の桜も美しかったが、ここには歴史がある。

加賀百万石と桜はなんとも良い組み合わせだ。
s-IMG_0229.JPG主計町と東茶屋街を探索したら、次は片町方面に向かう。

少し歩いて今度は犀川のほとりへ。

桜と雪を頂く山々のコントラストはなんと美しいことか。

桜を見ながらの川歩きは時間や諸事の面倒臭さを忘れさせてくれる。

近くにある室生犀星の記念館にも足を運ぶ。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」

犀川の情景と相まって、なんとも感動的な場所だった。

遠く離れた異郷の地で、犀星はふるさと金沢のこの犀川の風景を思い出しながら、この詩を歌ったのだろう。

「そして悲しくうたふもの」

このフレーズに彼の思いが時代を超えて、私の胸に突き刺さった。
s-IMG_0237.JPGそして、最後は兼六園の桜である。

城と桜はなぜこんなに相性が良いのだろう。

桜というのは本当にドラマチックな植物である。

人の人生とこんなに重なる花はない。

 

この春は本当に私の人生の節目となった。

子供たちは社会に旅立ち、会社内でも仲間たちに私の役目をすべて伝え、私は近いうちに会社の中で無用の長物となる。

これもまた人生、自分の中にはやり切った感はある。

繰り言は言わず、ただただ前を見て進む、これが私の今までの人生だった。

しかし、目の前の桜は私に人生を振り返ることを勧めているようである。

金沢の桜は私を感傷的にさせる桜だった。

きれいな中に私を包み込むような優しさがあった。

 

 

 

| とよ爺 | 日記 | 10:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜物語

s-IMG_0188.JPG翌日は今後のことを考えて、友人から紹介していただいた方を訪れた。

福井のお隣にある鯖江という場所にその方は住んでいる。

 

一時は大手建設会社に就職し、地元を離れ、東京、仙台、呉、浦和など、点々していたのだが、退職を機に地元に戻って来られた方だ。

さすがに地元出身というだけあって、顔は広い。

この日一日で多方面のいろいろな方を紹介していただいた。

 

福井の教室は3年前にオープンしたのだが、非常に業績は好調で今は3教室になった。

今はチャンスなので、どんどん教室を広げていく予定である。
s-IMG_0192.JPG第一号店の本校は福井市の中でもこの鯖江に近く、将来的にここに教室を出店しないとは限らない。

つくづく思うのだが、神奈川の私たちが福井でやっていくのにはこういう人間関係が非常に大切である。

ゆえに一生懸命、ものを教授していただくつもりでお会いした。

 

上の写真はその方の自宅近くの桜並木、菜の花も美しい。

話しているうちにJALの機内誌に取り上げられた桜が近くにあるという話になった。

その桜は地元では有名らしい。

桜の季節ということで、見に行くことにした。
s-IMG_0198.JPGその桜は鯖江市のお隣の越前市にあった。

小学校の校庭のど真ん中にその桜はあった。

天気はあまり良くなかったのだが、JALに紹介されたせいか、多くの人がその桜を見物に来ていた。

中には遠方から来ている人もいた。

 

その桜は非常に印象的であった。

この桜の周りを駆け回っている児童たちが目に浮かんだ。

満開の桜は美しいと思うよりもその目に浮かんだ光景に感動を覚えた。

自分の幼少時代を思わず思い出してしまった。

 

日本人にとって、桜というのは非常に象徴的なものである。

この桜を見た誰もが、何かをプレイバックするに違いない。

私にとって、忘れられない光景になった。
 

| とよ爺 | 日記 | 11:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜物語

s-IMG_0162.JPG福井出張の際、合間を縫って、ホテルからそれほど遠くない足羽川の桜を見に行くことにした。

医者の指示もあり、毎日のウォーキングは欠かせない。

ちょうどこの日はお昼にアポイントメントがあったのだが、午前中は比較的に時間があった。そういうこともあり、桜見物としゃれこむことにした。

足羽川はホテルから、徒歩で10分足らずの場所、実は過去に出張に来た時も何度も満開の桜の横を車で通過している。

いつかゆっくりと見たいものだと思ってはいたが、やはりそんな時間も取れない。

そんなこともあって、こうやって桜を見るのは初めてだった。

この足羽川の桜は北陸の三大花見名所のひとつ、加えて一年に桜が咲いているのは何日もない。

見ないてはないと思い、足が向いた。

 

s-IMG_0171.JPG午前中とあって、花見の人は数えるほどしかいなかった。

駅の近くにしては、空気もすみ、なんとも気持ちよかった。

お昼に地元の人に会ったのだが、2〜3日前はほとんど咲いていなかったようである。

ほんの短い間に写真を見ればわかるように満開になった。

 

この桜並木、結構な距離がある。

往復にかかった時間は40分ほど、いろいろなことが頭をめぐる。

特に今年は2人の子供が独立したので、感慨深い。

また病気のため、仕事の多くを仲間たちにお願いすることになった。

わが子に対しての責任、従業員たちに対しての責任の両方が一気に軽くなって、今は抜け殻のような感じさえある。

 

とにかく早く病気を治して、精力的に動きたいと思う。

私を待ってくれている人もいる。

そんなことを感じ、本当に私は幸せだと思う。

 

s-IMG_0184.JPG昼間のスケジュールを終え、夜は知人と食事をする。

夕食時も楽しく過ごせた。

外へ出たら、食事中、雨が降ったようである。

まっすぐ帰るのも何なので、歩いて夜桜を見に行くことにした。

 

夜の足羽川は昼間のそれとはやはり違っていた。

朝よりは、人は出ていたが、それほどではなかった。

「桜はいつみても美しい」

そんなことを感じさせる美しさだった。

幻想的で全く違う表情を私に見せてくれた。

 

「あと何回、桜がみられるかな」

友人がよく言う言葉である。

そんなことを私も感じ、川辺に映り、溶けていく夜桜を楽しみ、目いっぱいの幸せを感じた夜だった。
 

 


 

| とよ爺 | 日記 | 16:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
春が好きになりたい

私はこれまで春があまり好きではなかった。

もちろん桜や菜の花は本当に大好きなのだが、塾屋という仕事柄、春を楽しめる気持ちには

あまりならなかった。

生徒募集がうまくいくか、新しいシフトがうまく回るか、人員の入れ替わりはないだろか?

予定していたアルバイトの曜日が学校のカリキュラムの関係で変わらないだろうか?

多くの緊張や屶網に襲われる。

やっと落ち着くのは連休明け、すぐに梅雨のシーズンとなる。

 

歳を重ねて、季節模様をいろいろと感じられるようになると本当に魅力的な季節だなあと思

えるようになった。

しみじみと春を感じることができたのなら、どんなに幸せかわからない。

人生も終わりにどんどん近づいてきた。

毎日、毎日、そんな実感を感じる日々を過ごしている。

 

心の底から春を楽しみたいと思う。

心の底から、春を待ち遠しいと思いたいと思う。

心の底から、春を好きになりたいと思う。

そんなことを感じる今日この頃である。

 

今年は子供たちの巣立ちがあったので、快い春ではあった。

しかし、仕事においての緊張感はその分、増幅したように思う。

これもどんどん世代交代を行って、緊張感も段階的に減っていくのだろう。

 

そうなると年々きっと春が好きになれることだろう。

人生が終わりに近づいている分、もっともっと季節の始まりの春を感じたいと思っている。

 

人の一生というのは不思議なものである。

私にもかつて春が好きだった時代もある。

そのときも人生をいろいろ重ねながら、好きになっていったと思う。

そんなときに今の気持ちは近いのかもしれない。

人の一生は輪廻だという。

そんなことも感じる今日この頃である。

| とよ爺 | 日記 | 10:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
年度替わり

年明けから3月まで、あっという間に過ぎて、もう新年度4月となった。

わが社も大改革を行うため、人事一新の準備である。

昨年から、病気で悩まされている私は当然のことながら、皆を指揮できるわけもなく、後身に

道を開け、しっかりと機能できるようにアシストする側に回る。

 

今日は税理士、銀行支店長などなど、うちの会社を助けてくれている方々が切れ目なく、来訪

してくれた。

本当に有難いことである。

私と仲の良い支店長は、金融関係の常なのだが、支店を移動する。

私が会社を経営するうえで、常に多くのアドバイスをくれた方だ。

感謝、感謝である。

うちの税理士先生も、多くのアドバイスをくれた。感謝、感謝である。

 

仲間たちがこれからどういう会社にしていくか、やはり楽しみである。

私自身はそんなに能力はないので、思うような会社にすることはできなかった。

ここ2〜3年でつくづく自分の力の無さを感じている。

 

去年の8月以来、私はいくつかの病気を患い、ほとんどの業務を仲間たちに移行している。

彼らはやる気に満ちていて、思ったことをどんどん実行している。

しかし、私のような経営者の立場になったのなら、そう簡単にはできないだろう。

会社の仕事には経営者にはできないことがたくさんあるのである。

 

今年の4月ほど、自分自身の時代の節目にいると感じたことはない。

1年後の私と今の私は全く違う境遇にいるだろう。

自分の人生を輝かせるには、もはや自分自身の力しか頼るものはない。

家族も会社も多くの責任から、免除されるので、あらゆることをそのせいにはできない。

すべて自分である。

例えば、今の病状にしても、周りはわたしのことを「働きすぎ」だという。

自分自身、還暦を過ぎている身であるので、それもまんざらないわけでもない。

しかし、1年後の自分はそんな言い訳を言えない人間になっている。

ゆえにもっともっと自分自身を見つめなおさなければ、ならないと思っている。

| とよ爺 | 日記 | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
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