子どもたちのことを真剣に考えましょう。

塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜55

前稿に続く。

そう考えると人にものを教えるというのは非常に大変なことである。

むかしの教える者たちは、「先生」と呼ばれた。

昔の人は自分自身の立場を突き詰め、常に自己の行動を規制していたのだから、そう言われる

ことはあながち間違えではないと思うし、非常によく勉強をしていた。

私の知る生徒に人気のある高校の先生方は、例外なく常に勉強を欠かさない人たちだった。

「先生」と呼ばれることは、楽なことではないのである。

 

では、今の塾屋はどうだろう。

当初、生徒に教え始めたときは勉強するのだが、少々慣れてしまうと一挙に勉強をしなくなる。

勉強しない人間に、「勉強しろ!」と言われる生徒はかわいそうである。

しかしよくできたもので、最後に信頼を得るのは勉強を欠かさない者だけなのである。

ダメな講師はいつまでたっても生徒の信頼は得られず、自分のもとから去っていくし、弱いの

が理由でそれに自分の都合がいい理由をつけるので成長もしない。

今は本当にそういう塾屋が増えてきた。

そういう昨今を見ていると、この業界の終わりは近づいていると思う。

最終学歴など関係ない、大事なのは子供たちの前に立つ責任感である。

自分ができないことを子供たちに強いるのはだめなのである。

 

こういう基本姿勢さえできれば、子供たちとの会話がしっかりと成立するようになる。

加えて子供たちのかいわがしっかりと成立すれば、親御さんたちとの会話もしっかりと成立す

る。

加えてその時間を増やせば増やすほど、信頼は高まり、塾生は増える。

生徒が増えてこないのは、自分自身のレベルやスキルが低いのである。

 

経営者たちは、そういう講師を増やそうとするのなら、まずは自分自身が勉強すること。これ

は別に各自の立場というものがあるので、従業員と同じ勉強をしなくてもよい。勉強するとい

う姿勢が大事なのである。

また、経営者ならば、講師と同じような体験を積んでいるはずである。誰でも同じ道を通るこ

とになるので、その時の悩みや壁を把握していればよい。

加えて、黙っていては昨今の人たちは全くこれに気づかない。

定期的に何に取り組んでいるかを問うた方が良い。

                                      (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 15:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜物語

w=IMG_0280.JPG昨日、ここのところの私の日課になっているウォーキングした際に、お気に入りの桜並木の散歩道に向かった。

10日前、桜吹雪の中を散歩したことが記憶に新しいのだが、いまはもう葉桜になり、夏を迎える準備をしていた。

抜けるように青空の日だったのだが、やはり桜の花が見られないのは寂しいものだ。

夏はすぐそこまでやってきている。

 

ウォーキングということで、上はTシャツ一枚で歩いたのだが、昨日は海からの風は意外と冷たく、ひとところに止まって、桜を鑑賞する気にもならなかった。

葉桜も美しいという人もいるが、やはり少し寂しい気がした。


W-IMG_0282.JPG桜に人の一生を見る人が多いとも聞く。

葉桜はどう表現されているのだろう。

満開の桜は夢多き青春時代の様なのか?

散る桜はいろいろなことに傷つき、感傷的になっている青春時代の後期なのか。

 

そして、この葉桜はそのすべてを乗り越えて、大人の世界に旅立っていく人の姿なのか。

桜というのはとにかくいろいろなサゼッションを私たちに与えてくれる。

夏の暑い太陽にさらされる桜はどんなだったのだろうと思ったりもした。

そして、冬の桜も。

それはそれでいろいろなことを感じさせてくれるのだろう。


W-IMG_0283.JPGとにかく桜のシーズンは終わった。

自分の不安な心を桜に寄りかかって、避けて通ることはもう終わりにしなければならない。

青々とした桜の葉に何を感じればよいのだろう。

新たな生命の息吹を感じるには、満開の桜の残像が残っている今は難しい。

 

青い葉は新たな花を咲かせる準備と考えるのが良いだろう。

そう考えれば、すべて前向きにとらえられる。

歴史上の人たちは桜を見て、何を思ってきたのだろう

そんなことを毎年、この植物は私に考えさせる。

今年は特にたくさんいろいろな桜を見た。

この経験はこれからの私にどんな教訓を与えてくれるのだろうか?
 

| とよ爺 | 日記 | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
春の訪れ

最近やっと春が訪れてきたように感じる。

暖かいと思ったら、肌寒かったり、季節外れの強風が吹いたり、季節をどう捉えてよいのか

なかなかわかりづらい日々が続いた。

以前までなら、こんな感性は私にはなかったのだが、病気をしてからとこういうことにはえ

らく敏感になった。

季節感とは、歳をとればとるほど感じられるものかもしれない。

 

「春が待ち遠しい」、こんなこともあまり感じたことはなかった。

桜などは、季節が来たら突然感じるという具合だった。

しかし、今は桜の開花を自分がいる。

若いころ、こういう人は風流だと感じていたが、今となっては極めてノーマルである。

 

欲がない生活を送るようになってから、他人の欲はよく見れるようになった。

もっと若いうちにこういう能力が私に備わっていれば、数えきれない失敗をしてきた中の

いくつかは回避できていたのかもしれない。

人間、もちろん歳をとると衰える部分の方が多いのだが、成長する部分もあるのだなあと

最近は思えることが多い。

これを「悟り」という人もいるが、それは大きな間違いで、特に私の場合、若いころに努

力・勉学していれば当然分かったことが、今になって少しずつ分かるようになってきたと

しか思えない。

凡人はどうあがいても凡人、これも仕方がないことだと思う。

 

先日、私の友人と話していて、いつか桜前線とともに自分も北上していって、一か月間、

桜を見続けてみたいという話を聞いた。

私も可能なら、いつかはやってみたいと思ったりした。

夜はその地方のおいしい食とお酒を満喫し、昼は満開の桜を見る。

ある意味、究極の過ごし方である。

そんな究極を探しながら、人生を締めくくるのもまた素晴らしいのではないかと思う。

今は本格的な「春の訪れ」に経験したことのない究極を求めている私である。

| とよ爺 | 日記 | 10:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜54

そういうことを考えると大人の対応は難しい。

その大人にはもちろん私たち塾屋も混ざっている。

しっかりとした社会経験、社会知識の中から子供たちに言葉を発しているかを、各自が

考えなければならないと思う。

いやそれこそが私たち塾屋の社会責任だと思う。

 

前の稿の続きを書く。

では私の塾の講師たちは、そういうことをしっかりと認識して子供たちに対しているの

だろうか?

残念ながら、答えは「ノー」である。

 

私の会社の仲間たちは、社内年功が非常に広い。

上の者は若かりし私とともに同じ生徒を教えたことがあるし、下の者は教えていた時代

の私は知らない。要するに私は彼らにとって、現場を知らない者なのである。

現場を知らない者の下で働くのはつらい部分もあるし、楽な部分もある。

人間、元来は弱いものなので、どうしても楽な方に行きたがる。

生徒との会話においても、一番楽なのは自分の価値観や考えを押し付けること。教育に

とって、実はそれは一番してはいけないことである。

 

そのうち書こうと思っているのだが、昔の「塾」でもここのところの筋はしっかりと通

していた。

誰でもが知っている「松下村塾」「適塾」などでも、松陰先生や洪庵先生の持論などは

教えなかった。むしろこの二人は教えることは愛弟子に任せ、自分の背中を見て、いろ

いろなことを弟子たちに考えさせようとした。

こういう教え方をしたゆえに多くの優秀な人材が育っていったのである。二人の書物を

読めばわかるのだが、自分の持論、人生観を教えることほど、みじめなことはないので

ある。

 

私の塾の仲間たちは残念ながら、そういう者が多い。いや、今の塾全体がそうである。

「勉強しろ!」と生徒には言うのだが、自分自身は何も勉強しない。「机をきれいにし

ろ!」と言いながら、教室は汚れ放題である。「履物は揃えろ!」と言いながら、自分

の靴は脱ぎっぱなし。

いまこそ、しっかりと反省しなければならない。

                                   (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 17:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜物語

s-IMG_0255.JPG福井出張やこちらに戻ってからのいくつかの仕事をこなし、やっと自宅に戻ってきた。

自宅に戻った瞬間に日常に戻る。

午前中に健康や病気治癒のため、ウォーキングをするのも私の日課である。

何もなければ、一日20000歩は歩くようにしている。

午前中に最低5000歩は稼いでおかないとなかなか20000歩は難しい。

 

私のウォーキングコースにも桜が咲いている。

見事な桜なのだが、写真のように平日となるとあまり人もいない。

前の記事で書いた足羽川よりは短いのだが、ここの桜も結構素晴らしい。

どの木も手の届くところにある。
s-IMG_0268.JPG満開時も素晴らしいのだが桜吹雪が舞う頃に歩くのもまたよい。

毎年、訪れている私の大好きな場所だ。

 

今年は福井の桜、金沢の桜、川崎の桜と多くの桜を楽しんできた。

最後は慣れ親しんだこの桜、この桜に関しては散るころも毎年楽しんでいる。

爺になってしまったので、そんな桜の経過を見るとつい自分の人生と重ね合わせてしまう。

こういう気持ちにさせられるゆえに桜なのだろう。

 

この日は長い出張だったので、午後に少し出勤して、夕方近くに今度はわんこたちを連れて、朝の桜と逆方向に向かう。
s-IMG_0275.JPGそこは広々としていて、田んぼが広がっている。

その中ほどに菜の花が咲き、川沿いに見える桜とのコントラストを楽しむのも私は好きだ。

この場所に来ると犬を遊ばせ、しばし菜の花と桜を見る。

私にとって、なんとも幸せなひと時である。

歳をとると本当に幸せを感じる場面が違ってくる。

人に一生は本当に面白いものである。

 

この記事を含めて、今年は5稿の桜の記事を書いた。

文字通り狂い咲きのような感じである。

しかし、桜のことで5稿も書けるなどと言うことは幸せ以外の何物でもない。

来年もぜひともこうありたいものである。
 

| とよ爺 | 日記 | 12:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
第二の人生

私も還暦を過ぎ数年たつと、第二の人生を模索していかなければならないという思いがよぎる。

これといった趣味もなく、ただただ全力で人生を走り抜けてきた思いだけで、一体何を残してき

たかと自問自答することも少なくない。

他人は私の性分では、ゆっくりと残りの人生を起こるのは難しいなどというが、それは私自身に

言わせると少し違うような気もしている。

 

私をよく見ている女房に言わせると、どこにいても何か打ち込むことを見つけるよく言えば器用、

悪く言えば貧乏性の部分があるので、それなりにやっていけるのではないかと話している。

遊びにも割と夢中になれるので、仕事がないと寂しいということはないのではないかと思う。

 

還暦を過ぎるとありがたいことにいろいろなお誘いがあって、仕事がないということもない。

しかし、頭が痛いのはやはり健康である。

先日長兄と話し、一昨日次兄と話したのだが、下からこの世を去ってしまうのはいかがなものか

と言われてしまった。

長兄とは11歳、次兄とは7歳離れているので、やはり私が一番最初はダメらしい。

とにかくそういうこともあるので、身体はしっかりと治さなければならない。

 

とは言え、ありがたいことに身体が人並みに動けるようになれば、やることは山ほどある。

「第二の人生」ではなく、「第二の青春」のごとく、動かなければならない。

「自分、自分」ではなく、「全身全霊、若い人たちのために…」などというのもよいのではない

かと思う。

 

とにかくいろいろなことに視野を広げながら、人生を楽しもうと思う。

子供が巣立ち、ひとつの人生においての責任から解放された身としては、そろそろ考えの支点を
自分と女房にシフトしていかなければならない。

少し寂しい思いもしたが、今は考え方を立て直し、前向きに生きようと思っている。

| とよ爺 | 日記 | 09:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜物語

今回の福井出張は結構あわただしいものだった。

しかし、心行くまで桜は楽しめたと思う。

また、多くの方々とお知り合いになることができた。

歳をとると付き合いの幅がどんどん狭くなっていく。

寂しいことだが、それも仕方がないことだと思う。

私自身、おそらくそういうオーラが少なくなっているのだろう。

ここで違う人生の歩み方を模索しなければならないのかもしれない。

 

小松空港から、羽田に戻り、その日はラッシュの中を女房の実家に戻る。

結構、充実した日々を北陸では過ごせたのだが、やはり戻ってくるとそれなりにホッとする。

翌日は東京でアポイントメントがあった。

その日はじっくり休んだ。

 

s-IMG_0250.JPG翌日は歩いて15分ほどのJR駅から、品川に向かう。

新橋で人と会うことになっていた。

駅の手前まで来たところで桜並木を発見。

まさにここも満開で、今年ほど桜を見たのは記憶にない。

川崎の桜もきれいだったので、思わず友人にLINEをする。

この歳になると皆桜が好きである。

 

東京でのアポイントメントをこなし、実家に戻りすぐに用意をして、自宅に戻る。

歳のせいか、最近特に夜の運転が苦手になった。

視界も狭くなり、怖さを感じるようになった。

できるだけ車を使わないようにしようと思っている。
 

昼過ぎ、車で自宅に戻る。

1時間ほどの行程である。

女房はジムに行っているので、自宅は留守だろう。

それでも帰り道を急ぐ。

 

何とか無事に自宅に生還、家ではわんこたちが待っている。

もともと3匹いたのだが、昨年の夏、1匹が癌のため、死んでしまった。

残った2匹にもその悲しさは伝わっていて、前にもまして、寂しがり屋になった。

すぐにハーネスをして、散歩に出る。

2匹ともうれしそうである。

明日から日常がやってくる。

何事もなく、平穏に行きたいものである。

| とよ爺 | 日記 | 09:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
塾屋の順風:ここ10年で塾は大きく変わった〜53

私には2人の子供がいるのだが、夫婦間で話しても認識が違う場合がある。

女房が強い私の家では、常に女房の考えが優先するのだが、私もこういう職業に就いている

ので、時折、女房の認識が間違っていると感じることも少なくない。

世のほとんどの親たちは常に迷っていて、より良い回答を求めているといってよい。

しかし、なかなかその回答は見つからない。

 

とにかく間違っていないのは「本人の意志」、こういう考え方をする親御さんが10年前と比

べて本当に多くなったように思える。

昔の親には、「生意気なことを言ってはいるが、まだまだ子供」という考えがかなりあった。

今はなかなかそういう親の弁を聞かなくなっている。

 

ここで私の私見を書こうと思う。

あくまで私見なので、読む側の方々が同感するか、しないかで構わない。

私の考え方を押し付ける気持ちなどない。

 

10年以上前の子供たちに比べるとやはり今の子供たちは自己中心主義になったと思う。

自己中心主義は私に言わせれば社会主義と相対する部分があり、集団のルール、常識を軽視

する場合も多い。

学校や塾というのはやはり小さな小さな社会であって、子供たちはやはりそこで社会を学ぶ

べきだと思う。

「本人の意志」の尊重のように言う人多いが、時にそれは自分の前に創出した壁だったり、

障害だったりして、とにかくそこから逃げたいがために周りに対して、いろいろな屁理屈を

言う場合は、健全な意志ではなく、本人の成長の機会から逃げているということも考えられ

る。

昔の親は自己の社会経験でそれを判断できる力があり、子供がそう言っても一笑に付してし

まったが、今は100%真に受けてしまう場合もある。

私が言いたいのは、「本人の意志」というのは、未成熟な子供たちにとって、かなり曖昧な

ものなのである。

自分自身のことを考えても、中学生くらいに考えていたことをその後、自分自身で経験した

ことと比べると大きな差異があった。

むしろあとから自分に降りかかる障害を取り除くために、学生時代に辛抱した経験がかなり

役に立った。

 

これは私の持論だが、子供たちはいつの時代でも間違ってはいない。

明らかに今間違っているのは大人たちである。

現在私が一番感じるのは、私たち親の間違った方向への歩みである。

                                     (つづく)

| とよ爺 | 学習塾 | 09:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
福井全開!

t-IMG_0130.JPGお陰様で福井の教室は盛況である。

3年前に福井本校を出店したのだが、もう3店舗になった。

今年、もう一店舗計画しているので、おそらく今年中に4店舗、翌年も計画している教室があるので、来年度いっぱいにはおそらく5店舗になる。

写真は中藤校である。

昨年の夏以降から、始めているのだが、今年はお陰様で少しずつ生徒が集まり始めてきた。

集まっている生徒さんが優秀な者が多いので、前途はなかなか有望である。

地元では苦戦しているのだが、うちの塾に関して言えば、この福井の成功が大きな助けになってくれそうである。

いろいろ苦労したこともあったのだが、予想以上の検討にただただ感謝、感謝である。


t-IMG_0136.JPG私たちも努力したのだが、それにも増して運に恵まれたと私は感じている。

うちの教室の門をたたいてくれた生徒たちがとにかくよく頑張ってくれた。

いくら私たちが一生懸命やったところで、生徒たちがそれに呼応して頑張ってくれなければ、何もならない。

福井の子供たちは本当によく勉強する。さすが学力テストの中学校の部で全国一位だけのことがある。

もちろんそれは私たち塾よりも学校の先生たちが頑張っているからなのだが、その先生たちの労働を聞いているとこれが将来も続けていけるかはわからない。おそらく全国の水準に近づいていくと私は見ている。

もちろんここで培った学力はすぐには下がらないだろうが、やはり最後には全国のレベルに近づいてくると思う。


t-IMG_0155.JPG最後は個々の力である。

そういうことをしっかり踏まえて、福井はカリキュラムを作成している。

決して学校の内容を覆すことなく、その中で学習塾ができることをしっかりと模索して、教室運営をしている。

それが良かったのではないかと思う。

また、子供たちも優秀だし、とにかくご父母の皆さまも、教育に対して非常に熱心である。

さすが天神様を崇める件で、そういうことがしっかりと理解できる県民性である。

私たちもこれからもっともっと地元に根付くような努力を欠かしてはならない。

私たちが地元の皆様に受け入れられるということを心から感謝しなければならない。

他県から来て、この福井でやっている者だからこそ、その有難味がわかるはずである。

これからも地に足を付けた教室運営を心掛けていきたいと思う。
 

| とよ爺 | わが塾 | 12:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
昔の仲間からの電話

昨日、突然私の携帯に予期していない仲間から電話があった。

福井のうちの仲間がこちらに来た時に、飲む機会があった者だがいまは内装屋さんをやっている。

その時は当然、昔の話になった。

 

その頃の私は中間管理職、経営者が実兄だったので、その分、いろいろと気を使った。

その兄も会社に来ることはあまりなく、それゆえ経営実態は現場で働いている者にはなかなかわ

かりづらいものだった。

私も役員でもない一般職、そういう意味ではみなとあまり変わりはなかった。

 

しかし、そういう状況なので私はかなり気を使った。

実の兄弟ということもあり、終始、仕事熱心でない実兄を守らなければならなかった。

そういうこともあって、下の者にはきつく当たったことがある。

今から思い出しても、つらいことばかりである。

 

弱い私が自分自身の気持ちに決着をつけるために心掛けていたのは、下の者たちの仕事をしっか

りみていること、いざとなれば経営者との間に入って、何とかしてあげられると思っていた。

しかし、自分が想定していた状況が来ることはなく、歯の抜けるようにやめていった。

胸が痛かったが私には何もできなかった。

 

電話をくれた仲間もその一人だった。

先日あった時、その当時の彼のしていた仕事のひとつを私は褒めた。

彼はそれに対して、いたく感動してくれた。

しかし、私にすれば当たり前のことである。

そして、私が気になっているもう一人の仲間のことを話した。

「あいつは俺のことを今でも恨んでいると思う」、そんなことを言ったように思う。

 

そして昨日、その仲間とも話ができた。

いろいろ聞いてもらいたいことがあるから、ぜひとも会って話がしたいということだった。

本当に感動した。

私は「私にできることなら、何でもするから」と彼に話した。

 

歳をとって、こんな大きな幸福感を感じることのできるのは、若かりし日のことがあったからだ。

こういう場面が訪れるということは、私の人生は決して悪い回転をしていないということだ。

思わず神様に感謝したい気持ちになった。

人生とは本当にすばらしいものである。

| とよ爺 | わが塾 | 11:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
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